ワーカーズ624号(2021/11/1)
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「新しい資本主義」で未来は切り開けるか?
そもそも賃上げは労働者が闘って手に入れるべきもの
岸田文雄新首相の所信表明が発表されました。何か期待出来るものはないかと全文に目を通しましたが、やはり虚しいものでした。既に選ばれた役員や閣僚の顔ぶれも、3A(安倍、麻生、甘利)に操られるものでした。しかし、「新自由主義的な政策が富めるものと、富まざるものとの深刻な分断を生んだ」との弊害を指摘し、だからこそ「成長と分配の好循環」の経済に建て直すと、最もらしい言葉を並べていました。しかし、あっという間に〝成長一辺倒〟になってしまいました。これでは、賃上げも期待できないものになってしまうかもしれません。
そもそも、「富めるものと、富まらざるもの」という回りくどい言い方を、なぜ、わざわざするのだろう。資本主義社会を構成しているのは大きく分けて、労働者階級と資本家階級であり、富を生み出すのは労働者なのです。それにもかかわらず、生産手段が資本家の手にあるので、搾取された労働者には不利な分配とならざるを得ないのです。貧困を作り出している資本家とそれを支える政府が、ポーズだけで労働者の理解者になりすまし賃上げを提唱しているに過ぎないのです。現に、賃上げに協力した企業には、減税のご褒美をする、これは企業減税が本来の目的と言われても仕方ないでしょう。
日本の賃金は大きく世界から取り残されており、先進7ヵ国では最下位とも言われています。安倍自公政権の9年間も、賃上げが重要とみて分配的な政策を取り入れてきました。「官製春闘」、非正規の処遇を改善する「同一労働同一賃金」、最低賃金の引き上げなど記憶にあると思います。しかし、賃金の上昇には及ばず、今年1月には経団連の中西宏明会長(当時)は「日本の賃金水準はいつの間にか経済協力機構(OECD)の中で相当下位になった」と指摘しています。実質賃金は2015年を100として、2012年度104・5から2020年度98・7と、5・6%も減少しています(東京新聞2021年10月15日)。その上、男女の賃金格差は大きく、女性は正社員でも男性の7割。具体的には、非正規を含む平均給与は、男性532万円、女性293万円(厚生労働省、賃金構造基本統計調査)。ジェンダー平等にはほど遠い状況です。この度、連合の会長に初の女性である芳野友子氏が就き、ジェンダー平等や女性の待遇改善に期待がかけられています。しかし、芳野氏は野党連合での共産党の協力に難色を示して、限られたものになると主張。これでは、自公政権の延長に力を貸すことになると危惧します。
ところで、所信表明の全文に、女性を取り上げた文があったでしょうか。
「そうして得た信頼と共感の上に、私は、多様性が尊重される社会を目指します。若者も、高齢者も、障害のある方も、ない方も、男性も、女性も、全ての人が生きがいを感じられる社会です」唯一この部分だけです。多様性を主張しても、裁判になっている「選択的夫婦別姓」は、家庭崩壊につながる、社会に合わないとこれからも退けるつもりでしょうか。意思決定の場に女性を増やし、ジェンダーの視点を政策に取り入れる、それは、所信表明にある誰にとっても生きやすい社会になるはずです。(折口恵子)
地力を鍛え、職場・地域から闘いを前進させよう!――総選挙後を考える――
10月31日に総選挙が行われ、衆院の勢力図が決まる。
総選挙での各党の公約の分析・評価や、選挙情勢の予測などは時期的に意味は無いので、ここでは、総選挙で争点になったいくつかのテーマと今後の見通しについて考えてみたい。(10・25)
◆〝キングメーカーの声を聞く〟岸田首相
10月4日に岸田文雄新内閣が発足したが、まだ実績はなにもない。自民党の総裁選と国会で所信表明演説や代表質疑応答だけでは判断できないものも多い。が、それでも政権の性格や立ち位置を示すおおよそのイメージは見えてきた。
自民党総裁選では有権者の信任が離れていた安倍・管両政権からの転換を示唆する発言もいくつかいていた。たとえば、国民に届く説明する政治、民意を聞く力といった政治姿勢、それに分配重視の経済やそのための金融所得課税などだ。
ところが首相に選出されるや、安倍・菅政治回帰が際立った。説明責任や金融所得税は引っ込め、出てきたのは「成長と分配の好循環」「モリ・カケ・桜」は決着済み、学術会議候補の不承認も「終わった話」。さらには「防衛費の対GDP比2%以上」「改憲」「敵基地攻撃」などだ。「田中曽根内閣」ならぬ「安部岸内閣」というわけか?
アベノミクスも基本的に継承するとして、金融緩和、財政出動、成長戦略などを踏襲するとしている。しかしそれらはほぼ安倍・管政権の二番煎じ、「新資本主義会議」など、メンバーを見ただけ「経済界サロン」の面々だ。
岸田首相の新しい資本主義論は、まだ具体像が見えない。当初は、安保改定など国家や軍事を優先の岸政権から、癒やしと経済を優先させた池田勇人内閣の所得倍増計画への転換かと思わせたが、それも尻つぼみだ。
◆格差拡大は〝人災〟
岸田政権は新自由主義アベノミクスの継承か転換かとか、とも言われている。が、そもそも安倍政権の経済政策が新自由主義的なものだったわけではない。
新自由主義は、企業による自由な経済活動を推進するものだが、現実のアベノミクスは国家・政府の経済政策を重視するものだった。異次元の金融緩和も結局は政府・日銀による低金利・量的緩和だったし、積極的な財政出動はむしろ〝大きな政府〟だった。成長戦略だとして規制緩和を進めたが、他方で法人税を引き下げたり、競争政策と企業てこ入れ政策が入り交じったものだったからだ。
そのアベノミクス。主要国のGDP成長率に対して、日本は低成長が続いてきた。実質賃金は下がり、労働生産性も上がっていない。そもそもアベノミクス以前からの「失われた30年」のあいだ、日本は低成長に終始してきた。GDPはでみれば、急成長の中国はむろんのこと、米国や西欧諸国の多くも、日本よりも成長してきた。日本はまた労働生産性も上がっていない。量的にも能率的にも、低迷してきたのが現実だ。
日本は低成長が続いてきたが、物価もさほど上がっていない。観光目的のインバウンドやオリ・パラでの入国者も含めて、日本の物価の安さに驚きが拡がっていたという。これもデフレとも言われた物価安と円安の結果だった。米国や欧州は、賃金も上がってきたが物価も上昇した。だから国内生活だけで見れば、トータルの暮らしがどちらいいか、一概には言えない。
とは言っても、日本だけが、成長してこれなかったのは現実だ。理由を一言で言えば、1990年代以降、輸出主導の経済成長を目指してきたからだ。
90年代以降、日本では競争力強化のための「リストラ」が席巻し、終身雇用と年功賃金の正社員を減らして不安定で低賃金の非正規社員に置き換えて、賃金コスト・労働コストを圧縮してきた。他方では企業の法人税も段階的に引き下げてきた。アベノミクスではそれらに加えて、低金利政策で輸出産業に有利な「円安」を誘導してきた。要するに技術革新など無くても対外的な価格競争力による輸出主導経済でなんとか経済成長させようとしてきたわけだ。要するに〝円安ダンピング経済〟だ。
労働コストや税コストを軽くして多国籍企業や輸出産業の利益は膨らんだ。が、他方では、法人税の代わりに消費税を引き上げ続けた。低迷する賃金をはじめとする国内購買力、大衆の購買力は二重に奪われてきたわけだ。これが低成長の「失われた30年」の真実なのだ。
アベノミクスは失敗だったと言われる。失敗などではない。トリクルダウンなどあるはずも無かった。企業は賃金抑制を変えるつもりなど全くなかったからだ。それを知りながらの〝疑似餌〟でしかなかった。失敗などではなく《人災》、全くの嘘なのだ。
◆分配と再分配
岸田首相は、自民党総裁選の時は分配重視の経済政策を打ち出した。が、岸田内閣が発足した所信表明演説では、「成長と分配の好循環」に修正した。
具体的政策はまだはっきり打ち出したわけではないが、「成長と分配」なら言葉としては安倍首相も言っていたことだ。企業の利益を賃金として分配すること、要するに「官製春闘」もそうだ。
しかし「官製春闘」は全くの言葉倒れ。春闘での賃上げはこの30年間まったくと言っていいほど上がらなかった。安倍首相の在任期間も、賃上げは2%程度。これは定期昇給分に止まり、賃金総額は増えていない。要するに実質賃上げゼロが続いていたのだ。安倍首相の「官製春闘」は、全くのかけ声倒れに終わってきた。
安倍首相も岸田首相も、分配とはいうが、企業利益と賃金など、企業活動をつうじて分配されるの第一次分配であって、税・財政で再配分されるのが二次分配(再分配)だ。政府がやれるのは、直接的には第二次分配、要するに税・財政による再分配のことだ。
その再分配、税と財政もまた、企業優先のものでしかなかった。
税金・税制を見ると、国税の構成比率が劇的に変わってきたのが分かる。それは消費税の導入以後、増税を重ねるごとに消費税収が増え続け、その分、法人税が下がり続けてきた。法人税の減少分を大衆課税の性格が強い消費税の増税分が補ってきたからだ。
財政支出という第二次分配の柱である社会保障給付も削減されてきた。
社会保障給付額は、毎年増え続けている。が、それは高齢化が進むことで年金給付が増えたり医療費が増え続けているからだ。が、ひとり一人を見ると、年金給付は削減されてきた。2004年に、当時の小泉純一郎政権が大胆な年金制度の改革を断行するとして、現役世代の保険料を引き上げると同時に、受給者への給付は賃上げ分以下に抑えるという「マクロ経済スライド」を導入したからだ。これで年金受給率は現役世代の賃金比で、当時の6割台から5割を割り込むまで削減される。〝100年安心〟は年金〝制度〟のことで、〝老後の生活〟のことではないのだ。
医療費負担も重くなっている。3割負担や2割負担が増え、いままた高齢者の所得上位者が75才になっても1割負担にならず、2割負担に据え置かれる。
さらに二次分配の大きな柱になっている生活保護給付も、安倍政権下で13年からと18年からの2回、段階的に削減され給付水準が引き下げられた。「生活保護を恥と思わないのが問題」(自民党代議士)という受給者バッシングの嵐とともにだ。
団塊世代のリタイアで労働力人口が減少し、若年層は雇用形態や処遇を考えなければ、求人倍率が改善したことは確かだ。それが若年層の安倍政権支持に繋がっているにしても、それはアベノミクスの成果ではない。アベノミクスは失敗ではなく、大企業・富裕者優先、高負担・低給付の体系であり、口策だけのトリクルダウンなど、はじめから何も組み込まれていなかったのだ。
賃金での分配という一時分配はむろんのこと、税・財政という二次分配でも、選挙や争議・デモなどの直接行動も含めた当事者の主体的闘いなしでは成果は勝ち取れない。
◆「抑止力」「敵基地攻撃能力」?
岸田政権は、1991年に誕生した宮沢喜一内閣以来、30年ぶりの宏池会内閣だとの触れ込みで誕生した。発足前には、経済や生活を優先させるかのようなそぶりも見せた。
宏池会をつくった池田勇人は、60年安保で退陣した岸首相の後を継いだが、先にも触れたように、安保改定など政治や軍事を優先した岸政権に代わって登場した。岸田内閣発足を、生活を優先させた池田勇人内閣への継承を二重写しにした報道もあった。それは、安倍内閣が国家機密法制、集団的自衛権や安保法制、それに「モリ・カケ・桜」など、国家や軍事優先、政治の私物化が際立っていたからだ。
ところが、いざ政権スタートとなった途端の、揺り戻しだった。岸田首相が、「防衛費の対GDP比2%以上」「改憲」「敵基地攻撃」などを唐突に打ち出したからだ。
これは岸田政権誕生の原動力にもなった安倍元首相など、保守・極右派への配慮・忖度なのだろう。安倍前首相は、自民党総裁選では、子飼いの保守・極右派、高市早苗を支援した。岸田新総裁は、その高市を党の政調会長に処遇した。所信演説や選挙公約では、その高市(=安倍)主導の国家・軍事優先主義をとりあえず取り入れた。総選挙での信任を前にして、ナショナリズムを煽ってきた安倍元首相をはじめとする党内保守派はむろん、在野の保守派への配慮も欠かせなかったと言うことだろう。
「敵基地攻撃能力の保有」や「軍事費のGDP比2%以上」というのは、要するに中国や北朝鮮との軍事的対抗方針として出されているものだ。その脅威に対する「自衛」論、「抑止」論として語られている。
要するに軍事整合性論・軍事合理性論から出てくるもので、物事を軍事的関係だけで判断する、という危険極まるものだ。いうまでもなく軍事には必ず相手が存在する。一方の「自衛」「抑止」には他国の「自衛」「抑止」が必ず対応する。北朝鮮や中国も、むろん戦争ばかりやってきた米国の脅威に対する自衛・抑止だ。要するに、軍拡競争・軍拡合戦を煽るものでしかないのが軍事整合性論だ。
当然のような「自衛」「抑止」の一人歩きは、極めて危うい。とりわけ国家間の「自衛」「抑止」は、戦争に直結する危険この上ないものだ。
しかも、威勢の良い言葉は拡がりやすい。1905年のポーツマス講話条約や1930年ロンドン軍縮会議でも軍部やマスコミや野党による威勢の良い声が勢いを増した。その行き着く先があのアジア太平洋戦争と敗戦だったことを,忘れてるわけにはいかない。
国家間では、平和外交、軍縮外交抜きの自衛論・抑止論という軍拡主義に流れやすい。それを押し止めるのは、軍拡競争と戦争に反対して平和を願う、労働者や草の根の市民による抵抗と闘いの他はない。
◆職場・地域から――日常の闘いを!
分配の問題は格差社会・階級社会の克服に関係するる大事な問題だ。が、政治による分配優先政策では、限界がある。政治は二次分配を担うが、一次分配は一義的には労使間の攻防で決まる。。
雇用者のほぼ4割を占める非正規労働者は、多くが最低賃金を余儀なくされている。かつては〝学生バイト〟や〝ママさんパート〟が対象だった時期が続いたが、それは全雇用者の一部でしかなかったので、大きな社会問題にはならなかった。それが今では夫婦とも非正規雇用もごく普通、家庭責任を背負う稼ぎ頭の多くも非正規のまま、最低賃金の水準の賃金を余儀なくさせられている。
非正規だけではない。正規社員の労働環境も年々厳しくなっている。事業場外などで働く社員でみなし労働時間制が適用されている労働者は、あらかじめ一定の残業代込みの賃金が支払われているケースも多い。そうした労働者は、残業時間が長くなるケースも多く、残業込みの時間あたりの賃金単価が、最低賃金すれすれになってしまうケースも多いという。
他でも、学校の先生・教師の働き方が問題になっている。教員は特措法で賃金が上乗せされており、残業しても手当が出ないが、その残業時間が慢性的に増えているという。その特措法もあって教師の組合加入率が年々低下し、1960年には90%だったが現在では30%にまで落ち込んでいる。学校職場での組合の組織力・規制力が弱くなっていることも一因だろう。
また正社員も非正社員も、近年は過労死や過労死自殺が絶えない。原因がパワハラや過重労働だったという事例も多い。日本を代表する企業である三菱電機やトヨタ自動車でも複数の死者が出ている。ブラック企業は何も中小零細企業だけではないのだ。これも労組加入率が17%まで低下したことと密接な関係がある。会社や職場の中で、目の前で起こっていることに対する抵抗や反撃の闘いが決定的に弱体しているのだ。そんな状況では、いくら政治や政府がやれ「分配だ」「再配分だ」と言っても、すんなり実現するはずもない。
が、こんなことは続かない。現に、あちこちでそんな職場を変える抵抗や闘いが起こっている。争議・ストライキや裁判や労働審判など、形は様々で、人数も少数だったりするが、あちこちに拡がっている。闘わない、ストライキはしない、会社側との闘いをしない大手の企業内組合とは別の労働者が、正社員や非正規社員を問わず新しい闘いに挑戦しているのだ。
選挙での与野党接近、与野党逆転、政権交代は必要だ。それが大きな転換に繋がる可能性もあるが、それ以上に有権者や世論の関心の高まり、高揚にも繋がる。
とはいえ、政治的攻防は選挙の枠に止まらない。24時間、全国津々浦々の職場や地域での闘いが土台になる。労働者・市民による陣地戦や遊撃戦で攻勢をかける必要がある。
選挙での政権交代や体制転換に結びつくような、職場・地域に根ざした草の根からの日常の闘いを拡げていきたい。(廣)
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中国国家資本主義体制のリニューアル
習近平「改革」の歴史的意味を考える
■いよいよ病膏肓(やまいこうもう)に入る
中国不動産大手恒大グループの経営危機は深まる。この問題が深刻であり話題を呼ぶのは、中国の不動産バブルが膨らみすぎており、中国政府の対応が悪ければ一挙に国内の階級矛盾が激化することになるからだ。
指摘されているように、このバブルはリーマンショック時の様相とは異なる。これも住宅ローンの問題だが、巨額の劣等債権が、金融工学で様々な証券に紛れ込まされたことで信用危機が拡大し世界規模で連鎖的倒産そして不況が広がった。
中国の現在の様相は日本のバブル時代に類似した不動産投資加熱だ。近年の中国では都市部不動産は右肩上がりに値上がりする「資産」だ。結婚するにしても不動産所有が大切らしい。優良な公立小学校に入学するときさえ「不動産所持証明書」が要求されるという。中国では都市の中間層(サラリーマン)ですら、二軒程度の不動産を「所有」しているとか。三年前の数字でも中国では5000万個が空き家だという。桁が違う話だ。習近平は「住宅は住むものだ」と不動産投機を強くけん制したが、権力者の言葉や不動産バブルをしり目に民衆の不動産熱は今夏まで収まらなかった。
国家統計局によると、中国で1~7月の住宅販売額は前年同期比30.7ポイント増を記録したが、さすがに金融規制が浸透し8月はマイナス18.7%と急落。「2008年のリーマンショック以降で最悪」と言われるようになった。今、不動産市場は急速に収縮している。
■国家権力の基盤としての土地独占
中国共産党の権力は、もちろん毛沢東らの民族解放闘争や半封建的地主制度から何億もの人民を解放した歴史的偉業に根差す。しかし、それは過去の話だ。現在は、その「遺産」としての国有大企業や土地の国家所有(地方での共同所有=地方当局所有)に根差している。ここに彼らの経済的な利権・権力の源泉がある。中国では約10年前から不動産税の導入が検討されているが、「物件価値が低下する恐れ」があるとして、なんと地方政府などが反対してきた。土地問題は、既得権益者の利権がらみで動いているようだ。
話を土地所有に絞れば、上に述べたようにそれらは何らかの国有・公有となる。では土地バブルとは何かといえば、それは「使用権」の売買だ。例えば、土地デベロッパーが地方政府から土地「使用権」を大量に買い込んで、マンション団地を造成し民衆に売る。ところが、「使用権」が所有権でないのは期限付きで売却されているからだ。住宅用途は期限が70年。
このような制度が始まったのがそもそも新しく、二十世紀末だ。期限切れの場合その後の取り扱いについての法制度は未整備だと言われる。他の用途の土地はこの期限が切れたケースが発生し、大金を払い継続することに直面し保留扱いになっているらしい。土地所有と「使用権」をめぐる暗闘が存在するのだろう。
■不動産バブルの危機に政府はどう対応するのか?
上記したように、土地「使用権」売買は独占的大地主である地方政府の最大の収入源になってきた。国と地方を合わせた総収入の5割超が不動産売却益である。この土地「使用権」売買を閉ざすことはありえなく、政府は今後ともにバブルにならない範囲の「堅実」な売買を確保しなければならない。
しかし、中国政府が恒大グループを擁護することはないとみられている。というは、政府の示した「三条紅線」という限界を超えた放漫企業経営にお灸をすえるためである。もし、恒大を救済すれば、バブル熱は収まらず、ますます膨れていくだろうからだ。一罰百戒というわけだ。中国の各金融機関が不動産向けに行った融資の残高が50兆7800億元(約873兆円)に達している。それは過去10年で約5倍に膨らみ、中国の国内総生産(GDP)の約半分に相当する規模となった。政府は金融機関に縛りを強めており、上記したようにようやく市場は急速に冷えてきているようだ。
ところが恒大をいまパタンと潰せば、都会の中産階級の最大120万人が「資産になるはずの」住宅建設が停止し、彼らの怒りは習近平政権への批判へとつながりかねない。当然、建設会社や下請けへの負の波及は避けられず、連鎖倒産など社会矛盾が表面化するだろう。不動産不況になって困るのは土地が売れなくなった地方政府でもある。ゆえに、扱いを誤れば政府も火傷を負う。
■経済や社会への規制強化の動き
四十年前に開始された鄧小平の改革解放路線。その綻びと矛盾の露呈。そのような中で、習近平はその再建というか国家資本主義のリニューアルを目指していることが鮮明になった。社会のあらゆる分野での監視・管理を強め、現代資本主義のコンテンツを統合する強大 な国家を改めて打ち立てることを目論む。後でまた述べるが、「規制の強化」は少しも「社会主義」ではないどころか国家的・行政的手法を駆使して企業と市場を守り育てる体制が今の中国なのだ。中国の独特の資本蓄積の体制つまり「国家資本主義」だ。中国共産党=国家は市場と貨幣と、総体としての中国企業群を守る「前衛」なのだ。
デジタルプラットフォーム規制、共同富裕論(新分配論)、大富豪への規制・監視、マスコミや芸能界への関与、教育へのいっそうの介入や学習塾規制。さらに注目すべきは「中華民族」なる新しい概念で愛国主義を高揚させてもいる。(自律を指向する部族、民族への抑圧と包摂政策と軌を一にしている。)
介入や規制の方法には法改正や行政力を動員するのはもちろん、政府・国有企業による民間企業の株の買い増しなどがある。丸ごとの国有化のケースもあるが、それはまだ一般的ではない。「メディア業界の民間資本禁止案」が出され一般の意見公募が始まった。
■「共同富裕」論と北京証券取引所新設計画
取り合わせの悪そうなこの二つの目新しい政策。一見、平等で社会主義的語感がある「共同富裕論」と資本主義そのものの株式取引所設立。実はこれは深く結びついているのだ。「マネー・ポスト9/8」の記事が分かりやすい。
上海、深セン証券取引所での市場取引は2000年代までは国有企業改革としての役割が重視された「今回の北京証券取引所の設立は、新三板(全国中小企業株式譲渡システム)改革の一環としてイノベーションを加速させるための一つの国家政策である。新三板を卒業し、成長の段階を一つ上がる企業に資金調達の機会を与える市場として設立されたのである」(マネー・ポスト)。
つまり、アリババやテンセント、シャオミなど名だたる企業はその富の一部を活用して、証券市場で(地方の)有望な中小企業に投資しろと言うことだ。これこそ習近平が大企業に強く求めた地方の低所得層への「第三次分配論」の一つだ。
「共同富裕」論は国家財政に基づく再分配としての貧困対策・格差是正がメインではない。起業家として努力し、這い上がろうとする有望な中小企業を大企業が証券の購入などで資金支援することなのだ。習の目指すものは底の厚い、技術革新を生み出す資本主義社会の形成だ。大企業にとってもあくまでも「投資」なので利益にもなる。
「規制強化は社会主義化であったり、単なる不平等の是正などが目的ではない。中国は、米国とは異なる形で資本市場を強化し、イノベーションを駆動させるシステムを構築しようとしている」(マネー・ポスト)。
■国家資本主義のリニューアル
中国は、もはや日本をはるかに凌ぐ工業化社会であり、デジタル社会だ(EC化率つまり電子商取引率は36%で米国の15%、日本の7%をはるかに超える)。今は低い一人当たりGDPも十年程度で日本に並ぶとされる。効率化された高度な資本主義社会としての顔を持つ中国は、こんごも力をつけた企業や世界的販路を持つ市場を国家主導でコントロールしつつ、米国と並びあるいは追い抜く科学技術力、経済力や軍事力の獲得を目論む。それらの成果を駆使しその政治的影響力の世界的拡大を目指している。これが習近平の「規制強化」「社会主義への回帰」と言われる「改革」の歴史的内容だ。
つまり、中国は米英など伝統的資本主義とは異なった資本蓄積の道を歩み続けるのであるが、庶民や労働者が日々額に汗して働き、搾取され、資本の指揮権の下で不承不承こき使われることは同じである。あるいはより一層過酷さを伴う。
立法・経済政策などを国家主導で決定し「開発独裁」の典型と言われてきたシンガポールを、習指導部は見本としてきたと言われる。今や先進国と言われてからもシンガポールのこの統治手法はますます磨きがかけられている。ゆえに、習指導部がシンガポールの支配制度を意識するのは根拠がある。このような権威主義・官僚主義的行政力で、中国は資本主義「初期開発」の道からさらには高度先進資本主義へと驀進するつもりなのだ。
もちろん習近平の限りない野望が首尾よく達成されることはない。「特色ある社会主義」「中華の復興」「共同富裕」といった国民一体感の演出にもかかわらず、過酷な資本蓄積の過程で貧富格差は世界最悪トップクラスである。表には伝えられていなくとも労働者や諸民族の反乱を内包していることは確実であろう。だからこそ、習近平は「是正策」の提示を急いだのだろう。中国の名だたる富裕層が習に平身低頭したからと言って、十億の民が屈従するとは限らない。(アベフミアキ)
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余禄-「国家資本主義論」の思い出
昔々、とあるマルクス主義原理主義者が、中国やソ連は「資本の本源的蓄積の体制(=
国家資本主義)」であると断じ、この「歴史的位置付け」が唯一科学的であると独善にふけっていた。このような「歴史的規定」のない国家資本主義論(トニークリフなど)は抽象的で非科学的だと批判していた。このマルクス主義原理主義者がご存命なら、中国国家資本主義の歴史展開をどう説明するのだろうか。先進資本主義の仲間入り目指す国家資本主義などあろうはずがないだろうに。それとも中国は「自由化した」欧米型の資本主義体制だと主張を変えるのだろうか。そうであれば、いつから「自由化」したのだろう?
「資本論」(マルクス)の本源的蓄積カテゴリーを、実証研究抜きで無理やり当時のロシアや中国に当てはめたもので、はじめから科学とは言えないものだったのでやむを得ない混乱だともいえる。
************
彼はまた「過酷で暴力的な本源的蓄積の体制(国家資本主義)は、内在的必然として〈自由化する〉」と主張した「自由な資本と国家との矛盾」だと。ソ連・東欧の自由化や民主化がそれだと。インテリ風の歴史解釈ではないだろうか?このような思弁的歴史観は大衆運動に偏見を持ち込みその結果として道を歪めるだけだ。
1980年代の東欧諸国などで、ソ連支配からの解放や民主化が大衆的課題として存在したとしても、国家資本主義における労働者市民の闘いは、本質において資本とその国家に対決する闘いでしかあり得ない。中国資本主義の歴史展開はマルクス主義者のこのようなインテリの俗論を分かりやすく否定した。中国資本主義の発展と欧米型資本主義の歴史の差は、外見上無視できないものもあるが、一皮むけば本質は全く同じである。このことこそ「国家資本主義論」の意義であり、まさに資本(とその国家)であることが絶えず論証され暴露されるべき課題なのだ。(アベフミアキ)
読書室 キア・ミルバーン著斎藤幸平氏監訳『ジェネレーション・レフト』堀之内出版2021年8月刊
○世界の若者たちは、「左傾化」している。オキュパイ・ウォール・ストリート運動、英国コービンや米国サンダースら「左派ポピュリズム」の台頭、グレタを中心とする気候危機の問題提起など、今世界では若者達のラディカルな社会運動の輪が次々に広がっている。世界の若者たちはなぜ「左傾化」したのか? 本書で気鋭の政治理論家キア・ミルバーンが「ジェネレーション・レフト」が生まれた背景と変革の現実性を徹底に解明した○
ミルバーンの名を初めて聞く読者も多いことだろう。当然である。この書が日本での初出版物だからである。監訳と解説を行っている斎藤幸平氏によれば、ミルバーンはレスター大学経営学部の講師を勤めた後、現在はローザ・ルクセンブルグ財団ロンドンオフィスに勤務しているとのこと。彼は、世界の左派潮流をマルクス主義、とりわけネグリらアウトノミア左翼からの強い理論的な影響の下で分析し、今注目されているという。斎藤氏によれば、ミルバーンは学者と言うよりも、社会活動家と言う言い方が適切のようである。
確かに本書の中心テーマを分析するキーワードである世代論を根拠づけるものは、マルクスの引用ではなく、ブダペスト生まれで当初はルカーチに傾倒していたが、やがて独自の世代論を打ち出したカール・マンハイムだ。ミルバーンは彼に依拠したのである。
ここで本書の構成を理解するため、以下に目次を紹介しておこう。
日本語版への序文
謝 辞
第1章 世代の再考
第2章 取り残された世代
第3章 ジェネレーションの爆発
第4章 選挙論的転回
第5章 成人モデルの改革
日本語版への解説 ジェネレーション・レフトになるために 斎藤幸平
この本では、ジェネレーション・レフト=左翼世代の誕生について、世界で発生した二つの契機を通じて考察する。一つは、二0一一年に全世界に広がった抗議運動の波、もう一つは、二0一一年に全世界に広がった抗議運動の波に関してである。この二つの契機は一見矛盾があるように見えるが、その連続性を見れば担ってきた世代が継続し発展してきたことが見て取れる。そしてこの動きが今、着実に全世界に展開しているのである。
二00八年のリーマンショックは、巨大な金融危機の爆発として全世界・全世代に決定的な影響を与えた。そして従来の階級構造の分析に変化が生じた。とりわけ重大な影響を受けた若者の生活状態は耐え難いものとなった。その深刻さが増大し続けるにつれ、自分たちに足かせをはめている政治的構造的制約を解明しつつ、それらを拒否するようになっていく。こうした心踊りとは正反対に新たな驚異にも直面する。それは、極右の台頭と気候変動の悪夢である。それでもジェネレーション・レフトは世界へ方向性を指し示す。
なぜなら世代は時間で区切られて構成されるのではなく、出来事が作り出すものだからだ。リーマンショックとその後の展開は、世代間格差の基礎となる経済状態の急激な変化を作り出すのだか、同時にそれは新自由主義経済への合意を揺るがす画期ともなった。重大な出来事はそれを受け入れることが出来る人々の間に、マインハイムが共通の世代状態と定義する状況を生み出す。つまりジェネレーション・レフトが形成されたのである。
彼らは新自由主義における取り残された世代でもある。その意味で生まれたばかりのジェネレーション・レフトには、勿論左翼となる必然性はない。それは自らが出来事を受動的に捉えるか、能動的に捉えるかで、自分が右翼になるか左翼になるが決まるからだ。
こうしてミルバーンが言うところの「過剰な瞬間」が訪れる。ある種の出来事は「何でも出来る」との可能性を彼らに植え付ける。したがって二0一一年に全世界に広がった抗議運動の波が決定的だった。なぜなら彼らはこれら議会外行動の限界を知る中から、その後選挙政治に突破口を見い出したのである。勿論、彼らは議会外の活動も継続させている。
かくして彼らが目ざしている変革とは一体何だろうか。彼らジェネレーション・レフトも年齢を重ねていくと従来の世代のように保守化してしまうのか。これが問題である。
ミルバーンは、これらの質問にアウトノミア左翼の本領を発揮しつつ、マイケル・ハートとアントニオ・ネグリの『アセンブリ』(未邦訳)を引用し、次のように述べている。
「私有財産は共同体への受け入れを約束しながら、実際はあなたを他者から隔離し、群れから守る避難所を提供するだけである。(中略)私有財産による安心という薄板の表面を削ると、その基礎が露わになる。それは恐怖心である。私有財産にもとづく社会は恐怖感を飼い慣らし、恐怖心を掻き立てる」と。つまり保守主義の根は恐怖心にあるのである。
ハートとネグリが言うように「財産はあなたを救わない」のだ。リーマンショックは私的所有は私たちの未来を保障するのに十分でないことを明らかにした。私有財産の価値は希少性と他者との競合性、つまり多寡にある。としたら人は競合性がない財産を持つべきである。ハートとネグリは、デジタルコモンの共有とソーシャルメデイアの根底にある、すべての人とつながりたい・自分を表現したい・自律したいとの発想を貴重だとする。
彼らは先に紹介した『アセンブリ』の中に「コモンは財産と対立する」「利潤と資本主義的管理が支配する関係の代わりに、連帯経済は協力関係と自主管理を強調する。それはより平等に近いだけでなく、より効率的で安定したものなのである」と書いている。
気候変動の発見と新自由主義の台頭が同時進行していたことは悲劇的なことであったが、地球温暖化に取り組むチャンスが訪れている今、私たちは歴史の大きな曲がり角にいる。ミルバーンは呼びかける、ジェネレーション・レフトは勝利しなければならない、そして地球規模でのコモンを実現させよう、未来は彼らの敗北に耐えられないからであると。
最後に日本語版への解説としてつけられた、「ジェネレーション・レフトになるために」の中で斎藤幸平氏が強調しているのは、コロナ禍で生み出されたコロナ世代は、ミレニアル世代より上の世代も気候等の危機を前にしてZ世代の訴えに耳を傾け、新しい価値観を学びアクションを起こすことで、ジェネレーション・レフトになることが、今こそ求められているのである、と本書の解説をまとめている。たいへん熱のこもった解説である。
今年の8月に刊行された本書は、9月には増刷された。若い世代が購入しているからだ。
是非読者の皆様には、一読をお薦めしたいと考えている。 (直木)
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コロナ禍が直撃する「新階級社会」について
『週刊ダイアモンド』九月十一日号で「新階級社会・上級国民と中流貧民」という特集が組まれている。重要な内容なので、その一部を紹介したい。
●「五つの階級」とは?
特集では橋本健二・早稲田大学教授の分析を紹介しつつ、日本社会を形成する階級を五つに分類する。
血統や資産を持つ「資本家階級」、大企業エリートやホワイトカラーなどの「新中間階級」、自営業者や家族経営者などの「旧中間階級」、単純作業やサービス業・販売業などの「正規労働者」、非正規労働者の「アンダークラス」の五階級である。
「アンダークラス」とは、非正規労働者から主婦パートや学生バイト等を除いた層を指し、別の呼び方では「家計自立型非正規労働者」ととらえて良いだろう。バブル崩壊後の九十年代から増え続け、いまや新たな「階級」を形成している。
●コロナ禍が直撃した階級は?
今回のコロナ禍は、人々に平等に襲い掛かったわけではないことが、階級分析の結果明らかになった。
とりわけ打撃が大きかったのは「旧中間階級」であった。緊急事態宣言で飲食店、とくに酒類を提供する店が規制により時短・休業・廃業を余儀なくされ、平均収入は大幅に減少している。
さらにこれらの飲食店で働く従業員の多くが非正規雇用であることから、「アンダークラス」階級も収入激減や失業といった影響を受けた。
これに対して、ホワイトカラー等の「新中間階級」は、テレワークなどで労働時間は減ったものの、それほどの減収にはなっていない。月給制と日給月給制の違いもあるかもしれない。
ただしホワイトカラーも、今後の経営環境の厳しさを睨んで「早期希望退職」等のリストラが始まっており、決して安泰ではない。
●感染の危険性に曝されたのは?
新型コロナウィルスの感染危険性も、各階級で同じではない。
直接患者に接する機会の少ないホワイトカラー層と、介護・保育・医療・廃棄物収集などエッセンシャルワーカーの多くを占める非正規労働者層では、感染危険性に大きな差が生じた。
病院現場では、看護師、医療技術者(検査技師・栄養士等)の少なくない割合が非正規職員であり、調理・リネン・清掃・物品搬送・清掃等の部門では、委託会社や派遣会社の労働者が、感染危険性と隣り合わせで働いており、労災申請数も多い。
●格差社会から階級社会へ
もはや「格差社会」という呼び方では生ぬるい。現代社会は親から子へ境遇が連鎖する「階級社会」に至っており「一億総中流」幻想は最終的に崩壊したと言わざるを得ない。そしてコロナ禍が直撃しているのも、非正規労働者が多くを占めているのだ。
橋本健二氏は社会学の階級論を専門にしており、一連の調査・分析の仕事は、『新・日本の階級社会』(講談社新書)、『アンダークラス・新たな下層階級の出現』(ちくま新書)、『中流崩壊』(朝日新書)などを読まれることをお勧めしたい。(冬彦)
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本の紹介 カンカラ鳴らして政治を「演歌」する
著者の岡大介(おかたいすけ)さんは、1978年東京生まれで演歌師です。岡さんが歌う明治大正演歌は、添田唖蟬坊(そえだ あぜんぼう)・知道親子の流れをくんだもので政府批判・社会風刺を歌うもので、政府に立ち向かうための魂がこもった演説歌です。ここでいう演歌とは、社会風刺を謳う演説歌のことです。岡さんは、空き缶で作ったカンカラ三線をリュックに差して全国を回って、演奏活動を続けています。原曲も歌うし岡さん自身が作った替え歌も演奏しています。演奏の場は、寄席、演芸場、ホール、居酒屋など多岐にわたっています。今まで4つのCDを発売されています。
20代前半から歌い始めた岡さんは、明治大正演歌のどこに惹かれたのかについて、「強いメッセージが込められているところです。政治風刺はなんとなくしたいと思っていたけど、そう強く思ったきっかけは東日本大震災。落語家さんと被災地を回った時、皆さんの不安や辛さを目の当たりにして、真実を伝えたいって強く思ったんです」。
本の中を見ていきます。岡さんは、約100年前に大流行したスペイン風邪について、添田唖蟬坊・知道親子が歌った「新馬鹿の唄」(ハテナソング)を聴いて、新しい歌詞ができたそうです。2020年の、安倍政権の東京五輪まっしぐらとコロナ対応のお粗末さについてです。
元歌 帽子をかむってマントきて おまけにマスクで顔かくし 眼ばかりギロギロ光らせる 人間タンクの化け物か ハテナ ハテナ
岡さん作 東京五輪がやりたくて 緊急事態を遅らせて 選挙になったらヘコヘコと 緊急事態を解除する ハテナ ハテナ
岡さんが使うカンカラ三線は、沖縄戦で米軍の捕虜となった人たちが、収容所で自由を奪われたものの、どんなに苦しいときも歌を忘れず、配給のおおきな缶カラにパラシュートの布から作った弦を張り、棹(さお)の部分はベッドから削り出したものが、カンカラ三線で歌好きな沖縄の人がやむにやまれず作った楽器です。
岡さんは、2013年12月6日の秘密保護法反対集会で「ストトン節」という歌の替え歌を披露しています。
ストトンストトンと幹事長 国民の声がテロだとさ そっくりそのまま返します。秘密保護こそテロ行為 ストトンストトン
2015年5月3日の憲法集会では、「ああわからない」という歌の替え歌を披露しています。
ああわからないわからない すべて秘密で隠されて強行採決茶番劇 国民の声は無視されて 憲法改正急ぐのか 任せる国民もわからない 我らのお国もわからない
岡さんは、日雇い労働者の集まる東京の山谷や大阪の釜ヶ崎の集まりにも歌いに行きます。そこで、「路上で暮らす人や日銭を稼ぐ人たちに接していると、ふだん見ずにすませているものが、見えてくる気がします。棄民という言葉が自然と頭に浮かんできます。コロナ禍で子どもや女性にも自殺者が増え、非正規雇用の人には突然の雇い止めが起きている。大きな歯車が軋(きし)みの音を上げて犠牲者を生み出している。そんな気がします」と語っています。
今まで私は、岡大介さんのことを知りませんでしたが、たまたまYouTubeで彼の歌を聴いてすごくいいと思いました。そして、生で彼の「演説歌」を聴いてみます。
最後に「東京節」という歌の替え歌を紹介します。
① 政治家先生言うことにゃ 国民の生活守るため 国会の席を守るため 日本の原発守るため 辛抱せよ辛抱せよ言うけれど 仮設住宅に押し込まれ 今じゃこうして籠の鳥 解放セイ解放セイ解放セイ イントレランスだ解放セイ
②ウイルスやってきて大惨事 不自由は続くよどこまでも アベノマスクで口封じ 付けたら言うこと嘘ばかり 自粛自粛耳にタコ 補償があるのかわからない 緊急事態はこの政治 収入減に給付金もナイノナイノナイ 煽(あお)りメディアはダメダメダメ
③謎が謎よぶ国会で 魔法で神風煙に巻け 白紙改竄黒文書 消して隠して書きかえて 言い訳屁理屈もう嫌だ 記録も記憶もない人にゃ デタラメ節がお似合いだ 失言チャンモ暴言チャンモ辛イノ辛イノ辛イ 丸投げ政治で暗イ暗イ暗イ
④スッカラ政治の幕開けで アベちゃん問題山積みの モリカケサクラに学術会 見てない詳しく見ていない 議事録そんなもんいりません 伝家の宝刀人事権 言うこと聞かぬ奴ぁクビクビクビ 菅チャンタラ ケチンボデ パイノパイノパイ 支持率急降下デ バイノバイノバイ (河野)
何でも紹介・・・ 特攻を美化する英霊称賛のウソを暴く!
特攻とはどういうものだったのか、ウィキペディアでは「特別攻撃隊は多様な形態があり、定義も様々である」とし、次のような説明を行っています。
語源は太平洋戦争の緒戦に日本海軍によって編成された特殊潜航艇「甲標的」の部隊に命名された「特別攻撃隊」の造語からであり、これは一応の生還方法を講じた決死的作戦であった。また、組織的な戦死前提の特別攻撃を任務とした部隊を意味するものとし、大西滝治郎中将(第一航空艦隊司令長官)の命令によって1944年10月20日に編成された神風特別攻撃隊が最初と見なすものもある。
特攻は「体当たり攻撃」とも呼称される。航空機による特攻を「航空特攻」、回天や震洋のような特攻兵器による特攻を「水中特攻」「水上特攻」と呼ぶこともある。沖縄の敵中に突入作戦を行った水上部隊は「海上特攻隊」と命名されている。敵軍基地に強行着陸して爆撃機の破壊や搭乗員の殺傷を行う空挺隊は空挺特攻隊と呼ばれる。日本海軍が定めた神風特別攻撃隊の場合は、戦死前提の爆装体当たり攻撃隊の他に掩護、戦果確認の部隊も含めた攻撃隊を意味する。第二次世界大戦末期の独空軍におけるゾンダーコマンド・エルベのような海外の体当たり攻撃部隊を特攻隊と呼称することもある。
そうすると、米国によるテロとの戦争によって頻発するようになった〝自爆テロ〟はその行きついた先なのかと思いますが、市民を対象とした空爆による無差別虐殺は第二次大戦下ですでに一般化していました。所詮、戦争の行きつく先は破壊と殺戮以外ではないということなのでしょう。
特攻の実態とはどのようなものだったか、今夏放映されたNHKBS1スペシャル「マルレと生きた ~"特攻艇"隊員たちの戦争~」では次のような解説がついています。「かつて香川県小豆島に陸軍の秘密部隊の拠点があった。通称『マルレ』。ベニヤ板の小型ボートに爆弾を積み、闇夜に乗じて敵艦を攻撃することが任務だった。戦地に赴いた隊員約3000人の多くが未成年で、その6割が犠牲となった。しかし、公式な資料はほとんど残されていない。番組では、元隊員らの証言や資料を集め、犠牲者がいつどこで亡くなったか初めて可視化。見えてきたのは、無謀な作戦に翻弄された若者たちの姿だった」
不死身の特攻兵
1944年11月の第1回の特攻作戦から、9回の出撃。陸軍参謀に「必ず死んでこい!」と言われながら、命令に背き、生還を果たした特攻兵がいました。演出家の鴻上尚史さんは著書で、「9回特攻に出撃して、9回生きて帰ってきた」当時21歳の兵士佐々木友次さんのインタビューを紹介しています。
「海軍の第1回特攻隊は『神風特別攻撃隊』と名付けられ、ゼロ戦に250キロ爆弾を装備して体当たりしました。陸軍の第1回の特攻隊『万朶隊』は、九九式双発軽爆撃機に800キロの爆弾をくくりつけて、体当たりするものでした」
何らかに理由で生還した兵士は「なんで貴様ら、帰って来たんだ。貴様らは人間のクズだ」と罵られ、「振武寮」に軟禁されます。それは、死んだはずなのに、生きているのは都合が悪いからでした。
44年10月25日、海軍の「敷島隊」が出撃し、海軍の「万朶隊」の出撃は11月12日でした。万朶隊機の機種には槍が取り付けられ、その槍先の起爆管のスイッチが体当たりしたときに押され、爆発する仕掛けになってます。
鋼鉄の甲板に体当たりするのは「卵をコンクリートにたたきつけるようなもの」だと飛行隊長は批判し、「跳飛爆撃」(爆弾を直接艦船に投下しないで、一度、海に落としで跳ね上がらせ命中させる方法)を主張しています。この隊長は儀式好きの第4航空軍富永恭次司令官に出発の儀式に参加するように命令され、マニラで空域を支配していた米軍機の攻撃されて亡くなっています。航空戦など全く知らない富永司令官の気まぐれに殺されたのです。
爆弾を落とせるようにした機体に乗った佐々木伍長は、爆弾を落として(他に体当たりした隊員がいた)生還しました。戦果として「戦艦一隻、輸送船一隻を撃沈」と報じられたが、米軍側の情報では「揚陸舟艇修理艦エジャリア、同アキリーズ、特攻機により損傷」となっており、これが大本営発表の実態だったのです。
生還した佐々木伍長は、「大本営で発表したことは、恐れ多くも上聞に達したことである。このことをよく肝に銘じて、次の攻撃では本当に戦艦を沈めてもらいたい」と参謀から言われましたが、それは、次は本当に体当たりして死ねということです。しかし、2回目は不発に終わり、司令部は仕方なく佐々木伍長の生還を明らかにしました。故郷の佐々木家は「軍神の家」となり、道しるべまで立てられたということです。
3回目は11月25日、米軍の爆撃を受け機体は破壊され、佐々木伍長は「こんな真昼間に飛行機を並べて出そうとしたら、やられるのは当然だ。危険な時間帯に、ノンキに出撃の儀式の乾杯までするとは。参謀どもはバカではないのか」と腹を立てています。この空襲から3日後、4回目の出撃命令が出ました。
佐藤勝雄作戦参謀「佐々木伍長に期待するのは、敵艦撃沈の大戦果を、爆撃でなく、体当たり攻撃によってあげることである。佐々木伍長は、ただ敵艦を撃沈すればよいと考えているが、それは考え違いである。爆撃で敵艦を沈めることは困難だから、体当たりをするのだ。体当たりならば、確実に撃沈できる。この点、佐々木伍長にも、多少誤解があったようだ。今度の攻撃には、必ず体当たりで確実に戦果をあげてもらいたい」
この命令に対して、佐々木伍長は「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」と応えていますこの4回目は敵艦を発見できずに終わり、5回目は米軍機に追われたので800キロ爆弾を海上に落として帰還。6回目は投弾によってり大型船が傾いたのが見えたので、「レイテ湾で大型船を撃沈しました」と報告。これが、「12月5日、万朶隊の一機が特攻攻撃により、戦艦か大型巡洋艦一隻を隊は炎上させた」と開戦記念日の12月8日に報じられ、2度目の戦死発表となりました。
こんなふうにして、佐々木伍長は体当たりで戦死することなく生還しました。富永司令は多くの部下を無駄に死なせながら、「3人の若い女性看護師が交代で世話を焼き、マッサージ専門の准尉を従え、毎日、戦争中のマニラとは思えない豪華な食事を続け」、遂に准尉だけを従えて台湾に逃亡したのです。佐々木伍長に対しては殺害命令が出ていて、狙撃隊まで作っていたということです。
あの戦時にあってどのようにしてこのような信念を持ちえたのか、実に不思議というほかありません。佐々木さんは2016年2月9日、92歳で札幌の病院でその波乱に満ちた生涯を閉じました。当別町にある佐々木さんのお墓には「鉾田陸軍教導飛行団特別攻撃隊 佐々木友次」の名で、次のような文字が刻まれています。
哀調の切々たる望郷の念と
片道切符を携え散っていった
特攻と云う名の戦友たち
帰還兵である私は今日まで
命の尊さを噛みしめ
なき精霊と共に悲惨なまでの
戦争を語りつぐ
平和よ永遠なれ (折口晴夫)
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COP26は世界の若者を失望させる
資本主義的「繁栄」を投げ捨て 脱成長協同体への進路を取れ!
気候危機との闘いは階級闘争であることが鮮明になった
英国で開催される予定のCOP26が迫ってきた(10月31日より)。この会議への期待はすでに削がれている。気候危機の回避とは別のところで内輪もめしているだけだ。合意があったとしても妥協の産物にすぎず、若者たちの失望と怒りはすでに伝えられている。問題点や危機打開の道を考えてみよう。
■CO2のリベンジ——排出量がさらに増大か
気候危機を回避する取り組みは、それ自体が深刻な危機にある。つまり、世界各国が取り組むと宣言している「グリーンニューディール」「緑の経済成長」はほとんど効果が無いことが露呈しつつある。百歩譲っても「成長」だけが残り「温暖化対策」には無効になりそうだ。
「世界は依然として化石燃料に大きく依存している。化石燃料の需要は既に新型コロナの前の水準に近づいており、これはCO2排出量も増加していることを意味する。現在の傾向が続けば、石炭と天然ガス、原油の合計消費量は2022年半ばまでに過去最高を記録する可能性がある。パリ政治学院でエネルギーを専門とするティエリー・ブロス教授は〈これは化石燃料のリベンジだ〉と指摘した」(ブルームバーグ10/11)
世界のエネルギー需要は数年前にやや足踏みしたが2018年に再び増え、過去10年間で最速のペースである2.3%の増加率を記録した。その後のコロナパンデミックの大幅停滞から回復局面となり、一気に化石燃料が拡大している。これでは30年までにCO2排出量の半減どころか「増大」を許す可能性すらある。
■COP26の困難な諸課題
「COP26、紛糾必至の争点は何か」(ロイター10/24)は、問題点を掲げている。列挙すれば以下のとおりである。
まず、産業革命前より温度上昇1.5度に抑えるため、多数の国は温室効果ガスの排出量削減に6年前のパリで合意した。この目標を達成するには、排出量を2030年までに半減、今世紀半ばにはネット(実質)ゼロにする必要があるという大枠で一致した。
問題は各国がどの程度削減するかである。だが、191のパリ協定締約国・地域すべてについて入手可能なNDC(各国の二酸化炭素削減目標)で見ると、2010年との比較で、2030年の温室効果ガスの排出量は16%増になる(と国連は推計)。惨憺たるものだ。
ひとつの問題は主要な排出国である中国、インド、サウジアラビア、トルコは、4カ国合計で世界の温室効果ガス排出量の約3分の1を占めているが、より厳しい目標を盛り込んだNDCをまだ提出しておらず、取り組みに熱心とは言えない。中国は電力不足解消にむしろ「石炭回帰」が伝えられている。
CO2の歴史的排出国である先進国からの開発途上国への財政支援、あるいは「損失の補償」(開発途上国が被る気候変動の影響に対処・補償すること)も不十分かつ未解決な問題だ。途上国の信頼を損ねかけていると指摘されている。
化石燃料とくに石炭は、途上国ほど手っ取り早いエネルギー源となる事情があり、COP26議長国である英国の「30年に石炭全廃」論に抵抗するとみられる。さらに「パリ協定第6条問題」すなわちカーボンマーケット(炭素市場)・カーボンクレジット取引のシステム作りは妥結していない。
パリ協定締結の熱狂から6年。各論に入り、目標が具体化するにつれて協定は動揺を始めている。利害の対立が先鋭化し、国際的にも国内でも、資本家階級の抵抗や巻き返しも強くなり始めている。
■グリーンニューディールの根本矛盾が先鋭化——
経済開発か、それとも気候危機回避かの二者択一が迫られている
たかがしれたグリーンニューディール政策に対してさえ「温暖化したおかげで北海道のコメはうまくなった」(自民・麻生氏)などと気候政策に対する憎悪攻撃は激しさを増す。
さらには経済界でも気候危機対策懐疑論が浮上している。「温暖化抑制の重要性は認めるとしても、問題はそのペースではないか。天然ガスが前年比で数倍になったり、これに付随して電気料金が押し上げられたりする話に耐えてまで〈地球の気温が下がる〉ということにコミットしなければならないとしたら、地球上の人間は何のために生きているのかという根本的な疑問も抱かれる。」(みずほ銀行エコノミスト・ロイター10/16)。つまり、企業サイドでは、昨今のエネルギーの高騰の原因として①コロナ禍からの急回復と②性急な気候対策があると問題をかなりゆがめている。
グリーンニューディール政策は、市場と企業のもうけ主義をそのまま放置し、企業を利益誘導しつつ「CO2大幅削減」を目指すという矛盾に満ちたものだ。現実は、森林破壊のメガソーラーの展開やバイオマス発電建設、AV自動車シフトで電池の原料レアメタル争奪戦や自然破壊、そして一部資源の枯渇や急騰が発生した。もちろん、この産業転換・エネルギー転換に際しては既存の化石燃料も需要が盛り上がり大量に燃焼されるのである。さらに、資本の自由な産業間移動は旧産業での大量失業問題をすでに呼び起こしつつある。つまり、グリーンニューディール政策の目玉である利潤活動と「CO2大幅削減」という両立が不可能であることはますます明確だ。世界がこぞって大金を注いでいるグリーンニューディール政策は、結局どの階級も満足させられず、中途半端な形で挫折する可能性が出てきた。または、グリーンニューディール政策が「温暖化対策」を切り捨てて、旧態依然の「利潤と成長」路線に化ける可能性がある。
■階級問題としての気候危機
体制変革とともに突き出されるべき回避対策
結論に移ろう。少しでも真剣な気候危機対策は、資本の利潤獲得活動と対決せざるを得ない。それらを強く規制することが最低限必要である。資本と市場システムが煽る資源の乱獲・競争をやめさせ、化石燃料の歯止めない使用を終わらせるべきだ。かくして人類史的危機と指摘される気候危機と初めて真剣に向き合うことができる。つまり、グリーンニューディール政策の真逆のコースをたどることになる。資本主義的経済膨張をストップさせることが、気候危機回避の特効薬であることは今や明白だからだ。
同時に、全く新しい社会ビジョンの下で、徹底した社会変革とワンセットで追及されるべき課題だ。これは別稿をもって取り扱うべきものだが、一言述べておこう。
人類の歴史が教えているのは次のことだ。過去の協同体社会において「経済成長」「拡大再生産」を目的にしてきたことはなく、近代以前のあらゆる世界では、経済は協同体に従属してきたのである。(権力の外部からの干渉と介入が増産を強いたに過ぎない)。そこにおいてはより良き社会に生きることこそ民衆の主眼であり、経済はその基礎であってもその逆ではなかったのだ。
「成長」「富」「経済諸関係」という資本主義が生み出した倒錯した関係、つまり現代の人々を支配する物象化を打ち破らなければならない。その実践的答えはすでに上に述べた。本来的人間関係の再興を促すべく協同体を現代に復活させることである。すなわち地縁や血縁を超えたアソシエーションと、自然エネルギーを基礎とする特色ある協同体の連帯から成り立つ新たな社会だ。 (アベフミアキ)
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参院静岡補選で野党候補が当選!次は衆院選だ!
10月24日投票の参院静岡選挙区補欠選挙で、立憲民主党や国民民主党が推薦する山﨑しんのすけ候補(40歳)が自民党の若林洋平候補(49歳)に約5万票の差をつけて当選した。
岸田政権にとって2議席死守が至上命令だった参議院2補選で、静岡で予想外の敗北を喫した。この結果について地元の静岡新聞は「激震/静岡ショック」と報じた。
今回の静岡参院補選は、自民党の参院議員が静岡県知事選挙に出馬した後の選挙なので、「自民の議席」「勝って当然」と思われていたところでの思わぬ敗北である。
自民党は岸田内閣発足直後の国政選挙であることで、衆議院選挙への影響が甚大であることから危機感をつよめ、岸田首相は2度も静岡に来て応援演説をやり、また甘利幹事長や小渕優子議員などを静岡県に送り込み総力戦で戦ったもの、静岡県民の世論は自民党を許さなかった。
告示前に野党共闘が機能せず、共産党は鈴木千佳候補を擁立する野党勢力の分裂や首相交代による自民党の支持率回復、さらに静岡県は衆議院8選挙区のうち自民党や自民系が7つを占めているなどで、選挙前の予想は自民党の若林候補有利が大勢であった。
このように山﨑候補は当初からかなり厳しいと見られていたが、県民党の川勝平太知事が山﨑候補を応援をしたことから潮目が変わった。
静岡県の川勝知事は「リニア中央新幹線南アルプストンネル工事」の水問題を巡って、工事の中止を求めてJR東海と対立している。リニア中央新幹線工事を巡る岸田首相の対応に批判的な川勝知事は全面的に山﨑候補を支援した事が大きかった。
今回の山﨑候補の当選は、野党候補が分裂したとはいえ野党共闘の一定の成果であり、次の衆議院選挙の野党共闘に大きな弾みをつけた事は間違いない。
衆院選を迎えて、野党4党(立憲民主党・社民党・共産党・れいわ新撰組)と市民連合との協力体制が出来上がった。
静岡においても、早くから「市民連合しずおか」を立ち上げて、これまで県内の各選挙区に市民連合を立ち上げるための「各地区市民連合意見交換会」を開催してきた。
静岡の衆院選挙区は8区あり、全ての選挙区に「市民連合の会」が設立されて野党統一候補の当選をめざして活動を展開している。
この記事が皆さんの所に届く頃には、もう衆議院選挙の結果が出ていると思われる。現行の選挙制度のもとで自民党政治を終わらせるために野党共闘は必要である。(富田英司)
コラムの窓・・・敗戦間近の地下壕建設!
本紙前号で紹介した「ヒロポンと特攻」に関する梅田和子さんの勤労奉仕体験の続きです。梅田さんは高校3年生になると、新たにつくられている秘密軍需工場「高槻地下倉庫」(タチソ)で、馬の世話をする勤労奉仕をすることになりました。梅田さんはそこで朝鮮人労働者へのリンチを見ることになります。
米軍の空襲が激しくなるなか、一部の下士官が毎日夕方になると工事現場から10数人の朝鮮人作業員たちを一列に並ばせてリンチを繰り返すようになり、「始めは殴ったり蹴ったりだったが、だんだん靴で殴り、棒で殴り、椅子で殴るようになった」
その椅子がバラバラなるまで殴っても、将校たちは見ているだけで止めなかったそうです。梅田さんが何度も「なんで?」と聞くと、ひとりの将校が「だって、朝鮮人だから」と答えたそうです。さらに、敗戦後は証拠書類の焼却作業をさせられたということです。
また、下士官たちが倉庫に残された物資をトラックにいっぱい積み込んで逃げた、という話も聞いたそうです。敗戦後、軍関係者によって持ち出された覚醒剤が市中に持ち込まれ、大量の中毒者が出て社会問題化しました。
今夏にあった高槻での証言集会「敗戦間近の私たち」では、梅田さんと共に野口里子さんが証言を行いました。野口さんは当時国民学校5年生、勤労奉仕で農作業に動員され、農閑期には芝刈りをさせられたそうです。その時(1944年秋)、バラックが出現しているのを見て、その後、朝鮮人家族の一団の行列を見たそうです。その行列はタチソ建設に動員された朝鮮人だったのです。
タチソは東海・近畿・中国・四国地方の防衛を司る中部防衛軍地下指令所とされたものですが、戦時の地下壕として最も有名な松代大本営の地下壕に次ぐ規模で計画されたとそうです。ちなみに、松代大本営は宮城(皇居)、政府の諸官庁の主要部、日本放送協会海外局(ラジオ)など、天皇制国家を支える中枢機関がまとめて移転する計画でした。そして、ここでも工事には多くの朝鮮人労働者が動員され、過酷な労働を強いられています。
タチソ見学会は今でも行われおり、私もかつて参加したことがあります。内部が広いところもあったし、半ば入口が埋もれているところにもぐり込んだりもしました。私はもう一ヶ所、西宮の甲陽園地下壕も見学しています。
甲陽園地下壕の建設は1945年1月に始まっています。本土決戦の際は海軍の後方を統括する大阪警備府が疎開を予定し、同市内に航空機メーカー「川西航空機」の工場があったことから、戦闘機「紫電改」の部品をつくる地下工場としての活用も計画された。建設には約1200人の労働者が動員され、うち500人が朝鮮人で、なかには強制的に朝鮮半島から連れてこられた人もいたという。残念ながらこの地下壕は埋め戻されてしまって、今は内部を見ることはできません。
ところで、戦争遺跡としての重要性において甲陽園地下壕は特筆すべきものでした。敗戦時に朝鮮人労働者たちが解放を祝って宴を開き、トンネル内に「朝鮮國獨立」「緑の春」と書き残したと言われています。私が見学したときには文字は薄れていましたが、87年11月に発見(地元では防空壕だとされていた)された時の写真でがはっきりと文字が読み取れます。
さて、これらの地下壕群はおおかた1944年末から45年初に建設し始められたもので、実際に役立つことなく敗戦を迎えています。つまり、すでに敗戦が約束された時期に計画された無意味な悪あがきに過ぎなかったのです。しかも、朝鮮人労働者に危険な強制労働を強いたという、何重にも罪深いものでした。その責任を誰も取っていないという事実のなかに、近隣国に対する敵意がこの国に充満している遠因があると言ったら、言いすぎでしょうか。 (晴)
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川柳 (2021/11/1) 作ジョージ石井 (カッコ内は、課題句です。)
聞く力赤木ファイルへ馬の耳
3Aにんまり笑う組閣劇
包装の厚着を叱るプラの海
余り物野菜が多い五目鍋
居酒屋に手持ちぶさたの招き猫
怪物のボール令和に燃え尽きる
ガン告知余命半年どう生きる(「やばい」)
頂点は見えぬコロナの棒グラフ(「やばい」)
町工場ミクロの技に磨きかけ(「ミクロ」)
半世紀背を押し合って共白髪(「押す」)
苔寺に苔が輝く小宇宙(「妙味」)
禅の庭砂礫に筋のある余白(「妙味」)
ワンテンポ遅れて同時通訳者(「ワンテンポ」)
叩き上げ総理になって叩かれる(「たたく」)
大根の皮も葉っぱもエコ料理(「半端」)
遊行期が見えぬ傘寿のギャンブラー(「ギャンブル」)
支持率が施策の目玉書き換える(「上下」)
非正規と正規が分けている格差(「上下」)
国債の追加をねだるマニフェスト(「アンコール」)
核兵器二度と許さぬ原爆忌(「アンコール」)
いつか読むハウツー本を積み上げる(「延期」)
先延ばし泣くに泣けない拉致家族(「延期」)
敬老日百歳越えが過去最多(「元気」)
サプリ飲み今日も出掛けるボランティア(「元気」)
ギザギザの春菊の葉も自負を持ち(「菊」)
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万歳とあげて行った手を大陸において来た
手と足をもいだ丸太にしてかへし
胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき
この句は1938年9月、29歳で獄中死した反戦川柳家・鶴彬(つるあきら)の作品です。
召集令状一枚で男たちは戦場に赴き、わが家に生還してもある者は手足を失い、妻の体内に新しいわが子の生命の胎動を知るころに遺骨となって戻る男もいます。鶴彬が川柳に映し出した戦争の実態です。
色鉛筆・・・〝食〟が危ない―新食品表示に気づいていますか?
神戸新聞(10月20日)によると、「分別生産流通管理済み」と表示された食品が、スーパーやコンビニの店頭に並び始めています。それは、「遺伝子組み換えでない」の食品表示が2023年4月から厳格化されることに関連しているようです。例えば、原材料名に【納豆】丸大豆(アメリカ又はカナダ)(分別生産流通管理済み)と表示があります。消費者からの問い合わせが増え、「遺伝子組み換え大豆を使用するようになったのか」「言葉の意味が分からない」等、不安な声が寄せられています。一部メーカーの先行実施とは言え、消費者庁は事前に消費者に制度の改正に伴う表示の変更を、新聞広告やテレビなどで伝えるべきではないでしょうか。
新制度では、分別を厳格化するために混入5%以下に抑えた食品には、これまでの「遺伝子組み換えでない」(GM)から「分別生産流通管理済み」に変更を消費者庁が決定。私たちが安心できる選択は国産大豆で、国産大豆にGMの商業栽培は行われていません。しかし、米国内ではGMで生産される大豆やトウモロコシの栽培量が、それぞれ9割を超えてしまっている現状です。しかも、日本はこのGM作物を飼料用や食用油、甘味料の原料として大量に輸入しているのです。輸入肉、国内肉に関係なく、もう自分自身の自覚のないところで、摂取している可能性は大なのです。
表示で気になるのは、「遺伝子組み換え食品でない」の変更だけではありません。消費者庁は今年3月から、「食品添加物の不使用表示に関するガイドライン検討会」を開催し、市場から「無添加表示」が消える可能性が強まっています。添加物の怖さを「安さ、便利さの代わりに、私たちは何を失っているのか」と警告を発し、2005年に「食品の裏側」が出版されています。著者は安部司氏で、食品製造の舞台裏を明かす食品添加物の元トップセールスマン。氏によると、「廃棄寸前のクズ肉も30種類の『白い粉』でミートボールに蘇る」と指摘。私たちは、「化学調味料」「グルタミン酸ナトリウム」という物質名ではなく、「調味料(アミノ酸等)」と表示されれば、何か体に良いのではと抵抗なく使用しているかもしれません。
著者の安部氏は、添加物の危険性のみを主張するだけで解決する問題ではないと、社会が受け入れてしまっている現状に注目しています。「添加物の情報公開」こそが大切で、消費者が製造過程をしり、自分で利用するかどうか選択する判断基準を持つこと。それは、自分や家族の健康管理につながるはずです。最後に、日本の伝統食品を見直そうとの氏の思い、私も共感します。私たちの食は、遺伝子組み換え、ゲノム編集作物、あふれる添加物、と対処に課題は尽きません。私たちが生きていく中で最も大切な食の問題を、皆さんと共有し意見交換できたらと思っています。(恵)
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