ワーカーズ645号 (2023/8/1)
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患者への虐待の日常化 明らかになった精神科病院の実態
2019年9月、夜道を歩く女性への強制わいせつ事件発生から、この虐待事件が発覚しました。強制わいせつ事件の容疑者が、神出病院看護助手の20代の男性だったこと、その所持品のスマートフォンに目を疑う虐待の動画が写し出されたのです。
神戸市西区にある精神科病院「神出病院」は、人けのない山林の一角に鉄条鋼が張り巡らされ、465床ある巨大収容施設と呼ぶに相応しい所です。20年3月、20~40代の看護師ら男性計6人を逮捕、21年9月、ようやく設置された第三者委員会で明らかになった虐待の事実に、委員長を担当した弁護士は恐怖と怒りに震えたと、当時の胸の内を語っています。
「公判で認められた7の暴力、3の性的虐待は『氷山の一角』に過ぎなかった。びんた、膝蹴り、スリッパで頭をたたく、ベットに投げる、という暴力にとどまらない。棒で鼻を無理やり上向せた痴態を撮影する。汚れた衣服を着せたまま漂白剤の原液をかける。歩けない女性患者を全裸でベランダに放置する-。少なくとも計84件の虐待に、看護師ら27人が関わっていた」(神戸新聞連載-カビの生えた病棟で①-2023・6・29)
なぜ、これほどの虐待行為を誰も止めることが出来なかったのか? 虐待の中心人物が師長であったことが、服従を強いられる立場にあった看護師たちには黙認するしかなかったのか? 麻痺してしまった人権感覚は、患者を1人の人間としてではなく、「言うことを聞かないから懲らしめる」という処罰の対象になってしまうのでしょうか。
虐待事件が表面化した神出病院ですが、実は、法人財団「兵庫錦秀会」が経営を牛耳っていることが報告書から明らかになっています。法人の交際費は8年間で1億円以上で、ほぼ全額を事件当時の理事長藪本雅巳(21年9月辞職)が使っていたようです。
兵庫錦秀会は神戸市西区で神出病院を中心に高齢者施設、看護専門学校の3施設を運営しています。藪本氏はその上部組織である西日本最大級の医療法人・錦秀会の理事長でもあったのです。兵庫錦秀会の藪本氏への報酬や保証料名目で支払った金額は8年間で18億円に達する。第3者委員会は、「違法な報酬もあり、不当利得に当たる。速やかに返還請求すべき」と明記し、入院患者を金儲けのために犠牲にし、退院を引き延ばすことを命じた藪本氏を断罪したのです。藪本氏は21年10月、日本大学医学部事件に関与し逮捕されています。
「死亡するまで退院させない」当時の神出病院の院長の言葉です。748・8日という入院患者たちの平均在院日数は、全国の精神科病院の平均入院日数の2・8倍にも値します。反面、病院の環境整備には手を付けず、カビの生えた病棟は、患者はもちろん看護師たちの気持ちも浸食し善悪の判断も出来なくさせてしまいます。
世界では、1960年代後半から精神病床数が減少しており、現在、イタリアでは、民間の精神科病院は存在しません。基本は在宅で、地域医療が患者を支えます。たとえ、公立病院での治療が必要になっても、5日間ぐらいの入院で退院していきます。しかし、この在宅医療が軌道にのるまでには20年間の月日を要しています。
神出病院での虐待事件は、決して他人事ではありません。患者を強制的に入院させる「医療保護入院制度」や、他の科より医師や看護師数が少なくていいという「精神科特例」が維持されているのは、病床数維持のためと言っても過言ではありません。病院経営者の視点で運用されている現行制度を変えない限り、障がい者は地域で安心して生活することは困難な状況です。
東京新聞7月21日付けに、社会福祉士から新聞記者に転職した女性記者の記事があります。都内で暮らす50代の女性。パニック障害があり精神科病院に入退院を繰り返してきた。記者は8年前に女性に出会い、その後、女性の母親が介護施設に入所、父親も病気で亡くなり独りぼっちになった。不安な日々を送っていたが、ある雑貨店でうさぎのぬいぐるみに出会う。相棒となったうさぎと同居し、今は幸せを感じている。その人らしい日常を送る人の表情は驚くほど力がある・・・。
何かの出会い、きっかけで地域で生活できる実例です。私たちも、何かを支え、支えられて生きていることを今一度、振り返って見てはどうでしょうか。(折口恵子)
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《防衛費倍増》財源は借金と国民負担増へ――軍事費倍増ありきの財源論――
防衛費倍増に向けた政府の財源確保スケジュールは、年末まで先送りされた。今後、夏の概算要求、それに年末の新年度予算案と税制改定に向けて、政府は防衛費倍増のレールづくりに腐心している。
身の丈を超えた軍事費倍増や軍事優先政治と戦争への傾斜をストップさせる闘いは、正念場を迎えている。
◆結局は国民負担増
政府は、岸田首相がバイデン大統領に約束した防衛費倍増に突き進んでいる。
昨年5月、岸田首相はバイデン大統領との首脳会談で、日本の防衛費倍増を対米公約とし、昨年12月には、安保3文書の改訂で防衛費の対GDP比2%への倍増方針を打ち出した。
その倍増計画では、防衛増税を最小限に抑えて国民負担を少なく見せることに腐心しているが、1兆円強の増税という国民負担が含まれている。
増税を実施する時期として、当初は24年度以降としていた。が、22年度の税収の上振れや外為特会の剰余金の上振れなどをかき集めて1兆円強の財源を確保し、25年度以降へと増税を先送りするようだ。
これらは増税による防衛増税への世論の批判が多いことへの弥縫策だが、27年以降の現実の国民負担は、1兆円程度では収まらないこともはっきりしている。
今回の防衛費倍増計画は、米国がNATO各国に求めている対GDP比で2%強にあわせて、現行の対GDP比1%から2%への倍増計画だ。現状の防衛費を大幅に増額し、あわせて海上保安庁予算や港湾整備など各種インフラ支出などをダブルカウントして、2%を下らない額への増額だとしている。
政府の計画では、現行の防衛費の5年間で25・9兆円を、27年度までの5年間で43兆円程度とし、目標年の27年度では現行の5・2兆円から8・9兆円程度に増額するという。増額分の3・7兆円の内訳は、新設の防衛力強化資金(国有財産の売却収入の流用など)で0・9兆円、決算剰余金の活用として0・7兆円、歳出改革で1兆円強、そして増税で1兆円強だとしている。
見ての通り、半分は一時的に生じたもので、残りの半分は〝歳出改革〟という名の社会保障費の削減、それと増税だ。
◆国民生活は犠牲に
防衛費は、一旦10兆円規模にしてしまえば、その翌年から引き下げていくことは現実的には至難の業だ。兵器にしても基地建設にしても、一旦増やしてしまえば、自衛隊や防衛族の抵抗、それに防衛産業を巻き込む利権もあって、削減などまず無理だからだ。
結局は、一時的な財源だけでは賄えなくなり、国債による借金増や恒常的な増税などが不可避になる。それに社会保障給付の削減や医療費の窓口負担額の引き上げなどで国民の負担増を招く他はなくなる。
いま、政府や自民党が躍起になっているには、そうした現実を先送りにして世論の批判を和らげ、とにもかくにも防衛費倍増を既成事実化することことなのだ。
そもそも現状の日本で、防衛費を倍増して5兆円超から10兆円規模まで倍増する余裕など無いはずだ。いま求められているのは、医療・介護体制の改善、保育士の増員や待遇改善など幼児保育の改善、小中高教員の長労働時間の解消など、公的サービス、社会保障の改善・充実策だ。
が、現在の政府の姿勢はまったく逆だ。歳出改革と称し、社会保障給付の削減をはじめ各種公的サービスの削減、それに医療費の窓口負担金増額などで身の丈を超えた軍事費を捻出するというものだからだ。要するに、国民生活を犠牲に、べらぼうな軍事力・軍事費の増大を強行するもので、《軍栄え、民滅ぶ》という代物なのだ。
◆抑止力強化論は、正当化できない
こんなことを言えば、政府・自民党や好戦派の右派から帰ってくる言葉はすぐ予想できる。
「今日のウクライナは、明日の東アジアだ」「現在進行中のロシアによるウクライナ侵攻は、明日の台湾海峡有事、すなわち日本有事だ」「そうした事態を招かないための抑止力の強化が必要だ……」、という軍拡プロパガンダだ。
自民党や好戦派が盛んに主張するこうしたレトリックは、現在進行中のウクライナ戦争で、一面では一定のリアリティーを持って受け止められているという現実はある。が、それは軍事には軍事で対抗する、という《軍事合理性》の世界の話であって、それは破滅への道でもある。
〝安全保障のジレンマ〟という言葉もあるように、国家同士が〝抑止力〟の強化を競い合うという軍拡のエスカレーションこそ、紛争と戦争をもたらすのだ。
悲惨な戦争は、国家間対立や国家間抗争という土俵上では、いつまで経っても解消できない。そうではなく、お互いの国民同士が、戦争に走る政府を信任しないこと、そうした政府を取り替えていくという政治変革の課題として設定し直すことが不可欠だ。そうした立場を前提として、軍事合理性に基づく抑止力の強化やそのための社会保障の切り捨てや増税に反対していく必要がある。
現実を冷静に眺めてみたい。昨年の安保3文書の改訂で、日本は中国を仮想敵国に名指して、日米による対抗戦略を明確に掲げた。が、それは可能なのだろうか。
すでに日中の国力は相当な開きがある。中国は、国土面積で日本の25倍、人口では11・5倍だ。GDPでも日本の4倍以上で、軍事費も6倍以上だ。にもかかわらず、日本政府は、中国を仮想敵国とし、敵地攻撃も含め対中戦略を先鋭化させた。
その前提として、米国による支援や米国との共同行動を想定している。というか、想定せざるを得ない。これは米国からすれば、米国覇権の保持のために日本を対中包囲網に駆り出し、いざ有事には日本を前進基地として活用するということだ。日本からすれば、米国を巻き込んでアジアの盟主として対中優位の地位を保持し続けたい、という思惑の合成物である。
◆反戦行動を強化しよう!
しかしそんな思惑が成立しうるのだろうか。
日本は、あの安保法制で、部分的な集団的自衛権の容認に踏み込んだ。同盟国である米国が台湾有事で米中武力衝突状態になれば、日本は存立危機事態や日本有事として米軍の後方支援や対中武力行使に踏み込むことになる。そうなれば、沖縄や日本各地の在日米軍基地はむろん、自衛隊基地なども、中国の攻撃の対象となる。要するに日米と中国は戦争状態になる。それが全面戦争になれば、戦死や破壊だけが拡大し、それこそ勝者などいなくなる。
問題は、そんな場面にどう対応するかではなく、そうした場面をつくらないために何をすべきか、が問われているのだ。
私たちは逆に、国家間対立のエスカレーションは、戦争を呼び込むことになるとの観点から、非戦・反戦の声と行動を拡げていく他はない。
広島市で開かれた今年のG7首脳会議で公表した核兵器の抑止力を再確認した《広島ビジョン》に対し、被爆者団体などから強い抗議の声が発せられた。それらを背景として、今年の広島の原爆慰霊祭では、松井一実市長が、G7の「広島ビジョン」に対し、核抑止論の否定を盛り込んだ「平和宣言」を準備しているという。
沖縄でも、防衛力の南西シフトに抗する闘いがあり、広島でも非核・反核の闘いがある。私たちとしても、核廃絶も含めて、国家間抗争のエスカレーションや、戦争への動員に繋がるようなプロパガンダに本土全体で草の根から対抗していきたい。(廣)
他力依存?――繰り返すのか、無謀な戦争への道――
◆7月15日、一部の自民党議員や元官僚などが参加したシンクタンク「日本戦略研究フォーラム」主催の《有事シミュレーション》が行われた。昨年に続いて3回目だという。
中身は、台湾有事に至った場合、政府や自衛隊はどう対応するのか、というものだそうだ。軍事衝突に際し、いかに行動すべきか、というテーブルを設定すれば、それが軍事的な合理性に依拠したシミュレーションになることは明らかで、その開催自体が、一種の戦争体制への動員行為、あるいはプロパガンダにならざるを得ないことは、以前にも指摘してきたとおりだ。今回も例によって、日テレやフジテレビがニュース番組で拡散していた。
◆実際、日米2プラス2等で、日米共同作戦計画が詰められており、それも完成間近だと言われる。日本の好戦派は、日米共同作戦を自明の前提視しているが、現実は、そうした計画はあくまで計画であって、それが自動的に発動されるというものではない。
果たしてそうした場面で、米国は本当に対中戦争の全面に立つのだろうか。 逆に、兵器などの支援が中心で、南シナ海や南西諸島などでは日本の自衛隊が正面で戦う事態にならないのだろうか。
◆現に、ウクライナ戦争では、米国は武器などの支援が中心で、米軍はウクライナ軍の訓練などを除いて直接戦闘に参加していない。現状の米国の戦略的な立場は、米ロの全面戦争を招きかねないロシア領土への攻撃を否定し、あくまでウクライナ領土内での戦場でロシアを軍事的政治的に疲弊させること、それによって二度と米国に対抗出来ないようロシアの国力を消耗させる、というものだからだ。
◆他方、台湾有事では、米国はどういうスタンで臨むのだろうか。
バイデン大統領は、台湾有事には米軍も介入すると何回も言及している。が、そのたびに米国当局は、一つの中国論は変えていない、台湾独立は支持しない、従来の政策は維持していると弁明している。要するに〝あいまい政策〟だ。
それに台湾有事を想定しても、米国は、横須賀を母港とする空母ドナルド・レーガンをはじめとす空母打撃群など、第7艦隊を出動させるとは明言していない。
◆またちょっと溯れば、1996年の第三次台湾海峡危機では、米国の空母打撃軍が台湾海峡に派遣され、中国はミサイル訓練を中止して撤退を余儀なくされた。が、22年には米国ペロシ下院議長の訪台に関連して中国は大規模なミサイル訓練を実地したが、米国艦隊は、台湾海峡には入れず、グアム沖などに止まらざるを得なかった、という事例もある。
〝米軍で出て行けば、中国は引っ込む〟という時代ではなくなり、それだけ中国の軍事力への警戒感が強まっている現状がある。最近はといえば、米空軍嘉手納基地に常駐する戦闘機などをグァム島まで後退させる動きなど、前方展開戦略を後退させているのが実情だ。
◆その台湾有事での日米共同作戦計画は、ほぼ完成段階にあるとしている。が、あまり言及されることはないが、それが現実に発動されるとは限らない。
たとえば日米安保条約第5条では、日本の施政下にある場所が攻撃を受けたら日米両国は共同軍事行動で対処する、となっている。が、それはあくまで両国の憲法上の規定と手続きに従う、と前提が付いている。
米国はと言えば、集団的自衛権を明記しているNATO条約第5条では、いずれかの構成国への武力攻撃に対し、集団的自衛権を行使できるようになっている。が、日米安保、あるいは台湾有事では、米国大統領の武力行使命令の他に、宣戦布告の権限を持つ議会での武力行使容認の決議が必要になる可能性もある(戦争権限法(宣言))。場合によっては、自動的に台湾有事での参戦には結びつかない場合もあるのだ。
◆そうなったときにどうなるのか。米国は日本の自衛隊に武器供与を行ったりして直接的な戦争当事者にならないこともあり得るわけだ。そうなれば、台湾有事は米国覇権の維持のための日本による代理戦争になる。
日本の好戦派は、台湾有事や日中有事に際して、米軍が直接参戦しないという事態を避けるために必死で米国をつなぎ止める、という涙ぐましい努力を続けている。が、それが必ずしも当然のことではないのだ。
◆日本はかつて戦争終結への確かな見通しもないまま、無謀な対米英戦争へと暴走した。いままた確証もないまま、対中戦争へと前のめりになっている。歴史は繰り返されるのだろうか。(廣)
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「自国内で」「自国民の中で」環境破壊兵器を使うというウクライナ政府
米国や英国がウクライナ政府の要望に沿ってクラスター弾や劣化ウラン弾を供与するとの報道があります(米紙WSJなど)。ウクライナ国民はこのような自国政府に対して警戒を強め、反対するべきだと思います。日本政府も使用反対を表明すべきです。すでにウ・露戦争で双方がクラスター弾の使用を開始したと人権団体が警告しています(Reuters)。
◆劣化ウラン弾による汚染
劣化ウランとは、核燃料の製造過程で生じる副産物です。劣化ウランは、天然ウランよりも密度が高く、融点が高く、熱伝導率が高いという特徴があります。そのため、砲弾や弾丸の弾芯として使用されています。劣化ウラン弾は、従来の弾丸よりも貫通力が高いため、戦車などの装甲車両を破壊することができます。
しかし、劣化ウラン弾は放射性物質であるため、爆発すると劣化ウランが微粒子になって周囲に飛散し肺がんなどの健康被害を引き起こす可能性がありますし、その化学的毒性で土壌や水を汚染する可能性があります。
米国や英国が、湾岸戦争やイラク戦争で戦車に対して使用しました。NATOが旧ユーゴスラビアで使用しました。イスラエルは、1982年のレバノン侵攻、1985年のガザ侵攻、2006年の第二次レバノン紛争、2014年のガザ紛争で劣化ウラン弾を使用したとされています。戦場となった住民にとって、長期的な疾病を含んだ殺戮兵器なのです。劣化ウラン弾の使用により、イラク国内で多くの子どもたちが癌や白血病などの病気を発症しているとの報告があります。
◆クラスター弾の最大の被害者は子供
クラスター弾とは、空中または地上から発射され、空中で爆発して多数の小型爆弾(子弾)を散布する弾薬です。クラスター弾は、殺傷力が高いため、一般市民への被害も深刻です。子弾は、不発弾となり、長期間地中に残り、子どもや農民などの民間人が誤って触れて爆発することがあります。シリア内戦では2010年から19年までに記録されたクラスター弾の4000人以上の死傷者の80%を子供が占めています。紛争の影響を受ける子どもたちにとって、大きな脅威となっています。クラスター弾の使用例は多数あります。1999年コソボ紛争でNATOによる空爆、2003年のイラク戦争で米国が使用しました。
クラスター弾は、国際的に非人道的兵器として禁止されています。1997年に採択された「クラスター弾禁止条約」に日本は、2008年にこの条約に署名し、2010年に批准しました。
120カ国以上が署名しているが、米、ロシア、ウクライナは含まれていません。
◆環境破壊兵器
もちろんこれらの兵器は「非人道的」兵器です。むしろ、「環境破壊兵器」と名付けてもよいものです。クラスター弾や劣化ウラン弾の使用の跡地は、長い間、危険な状態のまま放置されることが多く、人々の生活や子供の命に大きな影響を与えます。動物だって犠牲になります。このような兵器であることを承知のうえで、ウクライナ政府は米国政府や英国政府(人権よりも軍需産業の利益を優先する政府)であれば、譲渡してもらえると足元を見ているのでしょう。侵略を受けているとしてもウクライナ政府の方針は人々の未来のための闘いとは考えられません。
◆「自国内で」「自国民の中で」環境破壊兵器を使うというウクライナ政府
ウクライナ政府が米国や英国に要求している非人道的な環境破壊兵器は、多くの子供たちを失い、人々の生活をより困難にし戦争からの民衆の復興、生活再建の展望を遠ざけることを意味するでしよう。これは政府としての資質に疑義を生じさせます。ホワイトハウスのサリバン補佐官は記者団に「ウクライナ政府は、非常に慎重な方法でこれらを使用すると確約した」と。これが守られるでしょうか?
すでに上記したように、このような環境破壊兵器の使用は、ことの性質上(きわめて残忍なことに)他国領土(地域)で行われます。米国やイスラエルやNATOの使用例で明らかです。ロシアもすでにウクライナ領土でクラスター弾を使用しています。ところが今度はウクライナ政府が、「自国領土」で「自国民」のいるところで使うというのですから、国家としての道義が崩れかけている(あるいは、国家の蛮性が露わになってしまった)としか言いようがありません。シリアのアサド大統領以来のこととなるでしょう。繰り返しますが、ロシアの侵略に対抗する、ということで正当化できるものではないでしょう。
次のことも考えてください。「戦時下だから」と言う理由でウクライナ政権は、労働組合の活動や政党の拘束を強め、労働者の権利を次々と奪っています(開戦後矢つぎ早に労働法改悪が成立)。ウクライナの支配者たちは、ソ連時代から引き継がれてきた高級官僚やオルガルヒ、そして現在では新興資本家階級も加わっています。彼らの政府がロシアのプーチン体制にも劣らない野蛮さ、反民衆の性格を持っていることを見逃してはなりません。(阿部文明)
ロシアの権力論考 ブリゴジンの乱の分析
ロシアの権力構造について、少しわかってきたことをご参考までに申し上げます。
◆プーチンの権力基盤
よく知られてきたようにプーチンの権力基盤は直接的には「シロビキ(Siloviki)」であり、その外側にはオルガルヒなどの大財閥、さらにロシア正教会などを通じて保守的なロシア人たちがプーチン体制を支えていると言えます。
シロビキとは、ロシア語で「力の人々」という意味です。この用語は、元々はロシアの安全保障機関や軍事機関出身者を指す言葉として使われていました。シロビキは、内務省、連邦保安庁(FSB)、軍、特殊部隊、軍産複合体などで経験を積んだ人々を指します。
シロビキは、プーチン政権の中で重要な役割を果たしてきました。プーチン自身が元々FSB(旧KGB)出身であるため、彼はシロビキの申し子といえます。プーチンは自身の政権基盤の強化において、シロビキのメンバーを要職に任命し、政権内のポジションを拡大させました。
シロビキのメンバーは、プーチン政権の安全保障政策や内政において重要な役割を果たし、政権の中軸として権力を維持し、政策の推進に貢献してきました。シロビキのメンバーは、国内外での情報収集や治安維持、政治的な圧力の行使など、様々な活動の中心にいます。
◆プーチンは「皇帝」なのか
西側の政府やマスコミは押しなべて「プーチン=皇帝」と自明のように考えています。つまり、秦の始皇帝・永楽帝・スターリンのように軍と官僚集団を統(す)べる者と。果たしてそうでしょうか。ウクライナ戦争以降の政治過程はそうではないことを示しているように考えます。
「プーチンは皇帝ではなくシロビキ層の代表に過ぎない」という見解があります。この意味は「個人独裁ではなく権力者たちの連合政権」だということです。「権力者たち」とは上記のシロビキのことです。
プーチン政権では、上記したようにシロビキの出身者が要職に就くことが多く、彼らは個々に内務省や軍事機関出身者であり、国家の安全保障や内政において重要な役割を果たしています。そのため、彼らが政策決定や権力の実際の行使に大きな影響を与えています。
プーチンは強力なリーダーシップスタイルで知られており、個人的な権力を強調する傾向があります。ところが一方で、彼の権力は群雄割拠するシロビキやオルガルヒに支えられているのが現実です。シロビキは一人一人が権力者であり、利権を束ね人脈を従えているとみられます。プーチンと言えども彼らの独自の権益に手を出せないのです(あえて、彼らに権益を渡している)。国家と言うよりマフィア組織をイメージした方がわかりやすいかもしれません。一般市民は法を守る義務がありますが、彼らは法の外にいます。
ブリゴジンの乱の責任者に対する処罰が不問に付され(今までのところ)、他方、ウクライナ戦争遂行上問題の多い国防相セルゲイ・ショイグや戦争の総司令官ゲラシモフに対して批判が噴出したにもかかわらず手が付けられませんでした。プーチンは、彼らの利益や立場を考慮しながら人事を進め、権力の維持に努めているとさえ考えられます。とくにショイグは大きな派閥を牛耳っており、プーチンですら彼らを簡単には切れないようです。
◆プーチンは動けない
もちろんプーチンは、一人のシロビキではありません。チェチェン紛争を収め、「悪徳オルガルヒ」を追放し、治安を復活し、保守的なイデオロギーを体現し、シロビキ支配を実現した彼らのヒーローです。彼らを代表してシロビキ統治を実現してきました。しかし、「裏切り者」ブリゴジンとその軍隊さえ粉砕できませんでした。ブリゴジンの人脈もまた一定存在するからでしょう。つまりブリゴジン(新米のシロビキ)の乱は、彼ら新旧シロビキの派閥抗争であり、世界が唖然としたように、プーチンには仲裁(ベラルーシ大統領の手も借りて)はできても片方を粉砕することはできなかったのです。今回、プーチンは何とかブリゴジンの「振り上げた拳」を降ろさせました。しかし、他の軍系のシロビキたちはショイグ、ゲラシモフとブリゴジンの内輪喧嘩を明らかに傍観していました。
ブリゴジンの乱により「プーチン体制が弱体化した」というより従来からあった弱点が露呈した形だと思います。
◆シロビキとオルガルヒのための戦争
とすると、大きな疑問が改めて生じます。ウクライナへの侵略戦争は「プーチンの戦争」と西側諸国から見なされてきました。果たしてそうなのでしょうか。つまり、彼が求め、構想しロシア軍に大号令を出した戦争(軍事作戦と称していますが)であったのだろうかと?
ロシアの侵略主義は、大ロシア主義(ウ=露同祖論)、反西欧主義と言った脚色に彩られつつその核心としてシロビキらとオルガルヒ(国際派の一部は反対した)のたくらんだ戦争だというべきでしよう。プーチンは、自ら論文(七月論文、2021年)を書き、来るべき戦争を正当化しました。彼らシロビキ層の思想と野望をここでも代表し論陣を張ったと考えるほうが自然です。
◆シロビキ政権の陥った迷路
仮に、このように考えることに妥当性があれば、次のことが連想されます。シロビキの実力派閥を何とか取りまとめてきたのがプーチンだとすれば、その調停に失敗すれば内乱になる可能性があるでしょう。何度も触れたブリゴジンの乱がそれですし、これが最後だとも思えません。ウ・露戦争を通じてシロビキ体制に軋みが出たのは間違いありません。
また、シロビキ層は、治安や軍務エリートとして国内治安や陰謀にはたけていても、国際情勢や深い国内の社会矛盾に対して柔軟で幅広い視野を持っていないと推測されます。
戦争のさなか、卓越した指導者ではないプーチンがロシアの陥った深い穴から彼らを救い出すことは出来るでしょうか。(E)
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読書室 隅田聡一郎氏著『国家に抗するマルクス 「政治の他律性」について』堀之内出版 二〇二三年六月刊
〇 エンゲルスらの努力で体系づけられた「マルクス主義国家論」は本当にマルクスの国家論なのだろうか。ではマルクスは国家と資本を一体どのようにして乗り越えようと考えていたのか。この百年以上にわたる「マルクス主義国家論」の変遷を追うとともに、マルクスを一九世紀社会主義・共産主義の歴史的文脈に正確に位置づけ直し、マルクスが本来考えていた未完の国家批判プロジェクトに鋭く迫る、自らの博士論文を新たな問題意識により一層拡充した、一九八六年生まれの気鋭の研究者の初の単著であり、必読の書である 〇
本書の構成
本書の基礎には、二〇一八年半ば隅田氏が一橋大学大学院社会学研究科に提出した博士論文「資本主義の政治的形態―マルクスの唯物論的国家論」がある。本書は、その後「海外特別研究員」としてドイツでの研究と若手研究者や左翼活動家たちとの交流に啓発され、刊行した論文などの内容を盛り込みながら、「国家に抗するマルクス」との新たな問題設定により自らのこれまでの構想全体を再構成し、大幅に修正を加え完成したものである。
その意味において、まさに後生畏るべしの形容に相応しく素晴らしい出来栄えである。
では本書の概要を紹介する。本書の「はじめに フーコーからマルクスへ?」でマルクスに国家論があるのかとのフーコー発言を捉え、順繰りに根本的な問題提起を提示する。
本書は二部構成で、第一部では「マルクスの国家批判」を振り返る。その内容は、一章「未完の国家批判」、第二章「近代国家とブルジョワ社会」、第三章「無産国家」、第四章「法=権利形態とイデオロギー批判」の各章で構成され。特に第三章はその肝であり、第四章ではスターリンの大粛清で抹殺された法哲学者パシュカーニスを復活させている。
第二部は「『資本の国家』をこえて」の表題の下、マルクスの古典派経済学批判による「形態分析」と「歴史的考察」を加えて、「国家の社会政策の可能性と限界」の検討、「世界市場で行動する複数の国家を分析する必要性」を検討、「ブルジョワ国家の可能性と限界を踏まえデモクラシーの非資本主義的形態」を再検討する。各章の具体的な表題は、第五章「近代国家から「資本の国家」への移行」、第六章「階級闘争と国家形態」、第七章「資本主義世界システムの政治的形態」、第八章「国家に抗するデモクラシー」である。
本書の方法と政治的形態規定
本書は、初期から晩期までのマルクスのテクストを再構成し「マルクスの国家論」なるものを体系化するものではなく、古典派経済学批判を重視しつつ、七十年代にドイツを中心に行われた「国家導出論争」を振り返ることで、マルクスに独自な国家批判、すなわち資本主義の経済的形態規定を媒介とした「政治の他律性」について考察するものである。
そもそもマルクスの古典派経済学批判とは、狭義の経済社会を対象としたものではなくて、国家を含む資本主義社会システム総体として「形態分析」の俎上に上げるものである。
古典派経済学は、価値の形態に隠された内容の実体(抽象的人間的労働)を発見したものの、この内容がなぜ、いかにして価値の形態をとるのかを説明できなかった。世界的にもマルクスのこの「経済的形態規定」分析に着目して、その本来の意味を全面的に解明したのは久留間鮫造氏とその学派だけだ。そしてまことに残念なことながら、この潮流ですら関連する「政治的形態規定」のもつ重大な意義に着目することはなかったのである。
マルクスの方法とは、「経済的形態規定」にとどまるものではなく、「マルクス主義者」が無視する法=権利形態や国家形態といった「政治的形態」すら分析するものなのである。
すなわち「マルクス主義者」は法=権利や国家の形態ではなく、その内容である強制・物理的暴力に拘ってきた。彼らは階級支配に拘るが、本質はそこにない。問題は、階級支配がなぜ、いかにして「ブルジョワ社会を総括する」公権力の形態をとるかである。別言すれば「なぜ、いかにして国家権力は社会から分離した公的な形態をとるのか」こそが「政治的形態」問題の核心である。
問題はこのように厳として立てられているのである。
隅田氏の方法も社会関係における資本主義の政治的形態の、「政治的形態規定」の分析である。この「形態分析」は、国家の内容とされる階級支配が、なぜ、いかにして国家の形態をとるのかを解明する。かくしてこの方法は、これまでの「マルクス主義国家論」の系譜に位置づく経済決定論と「政治の自律性」の両者を批判する射程を持つのである。
ほとんどの人々が初めて聞くような、この課題を隅田氏は本書で解明したのである。
マルクスは資本主義的生産様式の中から生まれる各種のアソシエーションを重視した。協同した生産関係により商品交換を廃棄すると同時に経済的形態規定を外的に補完する国家形態をアソシエーションに従属させることが、パリ・コミューンの経験からマルクスが「現実」のコミュニズムだと提起した内容である。ここで「プロ独」はどうなるのか。
未来の社会システムは、「労働を強制することなく万人に十分な生活を保証するような社会的インフラ」の構築でなければならない。このシステムに必要不可欠な労働(農業・物流・医療・清掃・ケア労働等)を市場と国家に依存しない形での構築が求めらていれる。
「形態分析」にとっては、「プロ独」による国家死滅ではなく、アソシエーション社会システムへの過渡期においてアソシエーションを補完する国家形態こそが重要なのである。これを追求したのが、第六章「階級闘争と国家形態」である。皆様の熟読を期待したい。
◇ ◇
紙面の関係でここまでとするが、隅田氏の問題意識は、「おわりに」で結論的に書かれているように、「可能なるアセンブリー・コミュニズム」をめざすというものである。
マルクスは労働者階級が直接的な民主政を追求することに希望を見出していたように、隅田氏も資本主義システムによる「生産者の社会的奴隷制」をアソシエーションへの転換とそこで日常的に行われている直接民主政によるアセンブリー(集会)等で事を決める政治的形態をこそ提示するのである。まさにこの部分は、本書の核心中の核心である。
本書は、世界的にもマルクス理論の最先端の議論がなされている。私たちアソシエーション革命派にとっても、本書が実に具体的で示唆に富む理論書であることは間違いはない。
ぜひ読者の皆様へは、日本ではあまり知られていない「国家導入論争」の概要を知ることと併せてマルクスの未完となった未来社会論の熟考を期待したい。その意味で皆様へ本書の一読をぜひ薦めたい。(直木)
良知力 『向こう岸からの世界史』を読んで
●四八年革命観を覆す
一読するだけで、その衝撃的内容に圧倒されるのが、良知力(らちちから)著『向こう岸からの世界史・一つの四八年革命論』(未来社刊)である。一八四八年革命についての見方を、根底から覆すからである。
マルクスが『共産党宣言』を著したこの時期、フランスの二月革命、ドイツの三月革命を皮切りに、ウィーン、ハンガリーと革命の波が広がり、後に「諸国民の春」と呼ばれた。
しかし結果は、フランスではナポレオン三世の第二帝政に帰着し、ドイツではフランクフルト議会が武力で解散させられ、ウィーンでは臨時政府が皇帝軍の武力で壊滅し、ハンガリーのコシュートの反乱はロシア帝国軍に押し潰された。
いずれも反革命側の勝利に終わった。問題は、その「反革命」の性格である。
●スラブ人蔑視史観
良知力は次のようなエンゲルスの文を問題にする。
「ヘーゲルが言っているように、歴史の歩みによって情け容赦なく踏み潰された民族のこれらの成れの果て、これらの民族の残り屑は、完全に根だやしにされ民族でなくなってしまうまでは、いつまでも反革命の狂信的な担い手であろう。」
ここでエンゲルスが述べているのは「汎スラブ主義」を掲げてウィーン革命を潰し「反革命」に加担したスラブ人勢力のことである。
この根深いスラブ人不信・蔑視感情は、一人エンゲルスのものではなく、ヘーゲル左派やマルクスも含めて、進歩派知識人の間で広く共有されていた。それは「アジア停滞史観」にも連なっていたが、より直接的理由があった。
それは、スラブ人勢力がウィーン革命で、武装した反革命として敵対した歴史的事実にある。
したがって、この悪評高い文章を巡っては、マルクス主義者の間でも評価が分かれている。「西欧中心史観(アジア停滞史観)」として批判する主張に対して、四八年革命において、スラブ人が反革命に加担したのは事実であり、反革命に対するエンゲルスの非妥協的姿勢は正しかったと擁護する主張もあるという。
だが、と良知は問い続ける。
●ハプスブルク帝国
ウィーン市民にとっての革命はブルジョア民主主義の徹底であった。だがそのウィーンに君臨していた皇帝(ハプスブルク家)が支配していたのは、ドイツ系のオーストリア人だけでなく、ハンガリー人、チェコ人、クロアチア人、ルーマニア人など多岐にわたっていた。
ここから革命の行く末をめぐる思惑に亀裂が生じる。ウィーン市民は、プロイセンの革命と連携して、フランクフルト議会の目指す「ドイツ統一」に将来の夢を託す(大ドイツ主義)。
これに対してクロアチア人などのスラブ人勢力は反発し「汎スラブ主義」を掲げて、ハプスブルク帝国を「連邦制国家」に再編する構想を打ち出す。
だがドイツ系市民は「汎スラブ主義」に反動のにおいを感じ、不信感を抱いた。この対立の帰結として、クロアチア人勢力(赤マント隊)は皇帝軍の側につき、ウィーン市民のバリケードを武力で蹂躙したのである。
●プロレタリアート
さらに話を複雑にするのは、ウィーン市民の国民軍(革命側)の戦いを実際に担ったのは、ボヘミア(チェコ)出身のスラブ系貧困大衆が、その多くを占めていたという事実である。
良知力は、彼らこそがウィーン革命の実質的担い手であり、彼らは事実上のプロレタリアートであったと喝破する。つまりウィーン革命は、そのスローガンはブルジョア民主主義であったが、その実質はプロレタリアート(流民)の闘いであったというのである。
こうして良知力はプロレタリアートの概念を根底から問い直す。市民社会のブルジョア的生産関係(機械性大工業)のもとで成長するプロレタリアート像に対して、周辺地域の大衆的貧困層が、職を求めて押し寄せる移民としてのプロレタリアート像を対置する。
今日の「ガストアルバイター」のイメージに連なる。アントニオ・ネグリの「マルチチュード」の概念に通じるかもしれない。
●反西欧史観ではなく
ウィーン革命は、皇帝軍(反革命)の側にもスラブ人勢力(クロアチア人)が加担しており、国民軍(革命)の側にもスラブ人(ボヘミア系移民)が担い手として戦っており、この問題を単純に「西欧中心史観」に対する批判で片づけるわけにはいかない。
良知力は、自分の見解を「だからといって、本書のモチーフがたんなる反西欧で、たんなる反市民社会論だ、などと速断されても困る」と釘を刺している。「他者のなかで、他者をとおして自己限定しうる能力こそが普遍性につながる。」とも述べているのをどう考えるべきか?
「反西欧」にもいろいろある。今日のロシア帝国主義の「ネオユーラシア主義」もまた「西欧中心主義を批判」している!それに足をすくわれないためにも、良知力が真に訴えたかったことは何なのか?読み込む努力が求められている。
なお四八年革命については良知力著『青きドナウの乱痴気』(平凡社)も合わせて読むことをお勧めしたい。(夏彦)
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「打倒維新へ。あきらめへん大阪! 大阪市長選敗北の中に見る希望」 著者 西谷文和 発行 せせらぎ出版
著者は、ジャーナリストの西谷文和さん。西谷さんインターネッ トラジオ「路上のラジオ」で、戦争の悲惨さや、原発の危険性、維新や自民党政権についての問題点などを発信されています。著書は、「聞くだけの総理言うだけの知事」、「ウクライナとアフガニスタン」、「自公の罪維新の毒」、「ポンコツ総理スガーリンの正体」、「安倍、菅、維新。8年間のウソを暴く」等。
本のはじめにの項で西谷さんは、橋下徹が大阪府知事に当選した2008年以来維新の不祥事や暴言をウオッチしてきたそうです。
その中で、維新で梅村みずほ参議院議員で当時議員秘書の成松圭太のことを上げています。成松は、2021年4月25日知人男性を乗用車ではねて、さらにこの男性を殴るなどして殺そうとして、 「殺人未遂」容疑で逮捕されました。その後成松は、秘書を解任、 被害者と示談成立、大阪地検堺支部は、罪名を傷害罪に変更、不起訴処分(起訴猶予)に。
しかし成松は、2022年6月に日本維新の会の党職員に再雇用されました。成松は、維新の大阪府会議員横倉廉幸の娘婿です。身内に甘い維新の行動がよくわかります。
本は、4人との対談と西谷さんのルポにわかれています。
PART・1 それでも見捨てられへん大阪-対談 元大阪市会議員北野妙子さんー北野さんは、大阪市議の立場を捨てて、4月の大阪市長選に立候補しました。市長選は事実上、維新対反維新、カジノの是非を問うものでした。維新の大阪市長松井一郎(当時)は、「カジノには税金を使いません」と言っていましたが790億円の公金投入。
大阪府民が求めた、カジノの是非を問う住民投票も大阪府議会で否決しました。そして大阪市長選で維新の横山英幸候補(現大阪市 長)は、「路上のラジオ」主催の公開討論会に欠席(別件があると)しました。この討論会に北野さんは出席して、要旨「カジノには個人的には反対、その是非は住民投票で決める」と。
PART・2 4年後の選挙に向けて、今からが勝負ー対談 関西学院大学教授冨田宏治さんー冨田さんは、2023年統一地方選での大阪で維新が強いことについて、「維新は、巨大な固定票を持っています。絶対得票率、つまり有権者総数に対して何割の人が維新に投票するか、といえば大阪では約3割なんです」。
2019年で見ると大阪府知事選、維新の吉村洋文226万6103票(投票率49.49%絶対得票率31.41%)、大阪市長選、維新の松井一郎66万819票(投票率52.70%絶対得票率30.18%)、2023年 大阪府知事選、維新の吉村洋文243万9444票(投票率46.98%絶対得票率33.93%)、大阪市長選、維新の横山英幸65万5802票(投票率48.33%絶対得票率29.61%)です。ここから見えてくるのは、投票率が多少変わっても維新への投票数は、あまり変わらないということです。維新は、有権者の3割という強固な支持者がいるのです。
2回にわたる大阪市廃止・分割を問う住民投票選挙では、どちらも投票率は60%を超えていました。2015年の住民投票は、投票率66.83%で大阪市廃止・分割賛成69万4844票、反対70万5585票でした。2020年の住民投票は、投票率62.35%で大阪市廃止・分割賛成67万5829票、反対69万2996票でした。
選挙で維新に勝つためには、投票率を最低でも60%は必要です。そのためには、選挙争点を明確にして魅了ある候補者が出てくる必要があります。大阪はカジノ反対やコロナ死者が全国一で医療崩壊をまねいた維新政治を、徹底的に問題にしていくことが重要です。
PART・3 なんぼでも言うで。維新は断罪やー対談 日本城タクシー社長坂本篤紀州さんー維新の大阪府知事吉村洋文は、病院がひっ迫していた時、「おばあちゃん、手術待っててな!」と言いながら25年の万博の話をしていました。医療ほっといて万博にどれだけ金を使うのでしょう。
坂本さんは、維新について「民営化は『お友だち資本主義』の見本やから。本来、公立の学校や病院がなんで利益が上がる?『儲からへんから損や』言うてるけど、府民相手に金儲けしたらアカンやんか」。カジノへの790億円公金投入についても、坂本さんは 「その790億円をやめて、『大阪市民になるだけで奨学金をチャラにするよ』と言えば、どれだけ若いヤツが集まるか。こんな簡単なことがわからへん」。「『空飛ぶ車』も『すぐ来る救急車』の方がええ。コロナで救急車、なかなか来えへんやんか」。
PART・4 立憲民主党よ、原点に立ち返れ!ー対談 ジャーナリスト横田一ー今の立憲民主党に原点に立ち返れと言っても、ムダな気がします(筆者)。ただ個別には理念や考えがすぐれた方もいます。
横田さんは、山口県で行なわれた衆議院補欠選挙について述べています。山口4区から立民から立候補した有田芳生さん、この方は 元参議院議員で、一貫して統一教会問題を追求していたジャーナリストでもあります。
「『下関は統一教会教会の聖地でもある』と有田さんが発信して、 これがネット上で激論になりました。韓国の釡山から下関までフェリーが通っているのですが、文鮮明がこれに乗って初めて日本に降り立ったのが、下関。統一教会にとっては聖地、記念すべき土地なんです。だから統一教会の施設も多い。しかも、安倍三代にわたる統一教会との関係の発祥地でもある。これを選挙の争点にしたんです。『安倍政治の検証』を掲げました。3大争点として、1.統一教会との癒着、2.アベノミクスの失敗、3.解決しない拉致問題」
PART・5 「お祭り資本主義」で大阪は破産へまっしぐらールポ ジャーナリスト西谷文和ー2025年に開催予定の大阪万博、 「心配なのは、作業員の健康。粉塵が舞う中でパビリオンを建てたり、円形通路を作るんでしょ。・・・この場所には発がん性物質である ダイオキシンやアスベストも大量に埋まっている。万博のキャッチフレーズは『いのち輝く未来社会のデザイン』もう、ほとんどブラックジョークだ」。
「万博期間は夏の台風シーズンだ。さすがにパビリオンは飛ばないかもしれないが、周囲には小さな食堂やレストランも。18年9月に台風21号が大阪を直撃した時は咲洲、夢洲の巨大コンテナが飛んでいった。同程度の台風が来ればレストランの看板やテントはまず飛んでいくし、何よりもトンネルと橋が通行不能になるので、観光客やスタッフは閉じ込められる」。
このまま万博を開催してもいいのか? 中止にする方が賢明でしょう。 (河野)
「エイジの読書室」 「永遠の化学物質 水のPFAS汚染」 著者・ジョン・ミッチェル/小泉昭夫/島袋夏子/ 訳・阿部小涼
私が「PFAS汚染」問題の事を知ったのは、2019年の映画「ダーク・ウォーターズ」であった。長年隠されてきた事実を暴き、デュポンによるPFAS汚染の隠蔽工作を白日の下にさらした弁護士ロバート・ビロットの奮闘を描いた作品でした。
さらに、この「PFASによる汚染被害」の実態を詳しく知る事になったのは、沖縄の知人から「沖縄ではPFAS汚染が大きな問題となっている。『汚染から市民の命を守る連絡会』を結成し、地域住民の汚染状況を知るために6市町村7会場で大規模血液検査を取り組んでいる。また、土壌採取・分析を沖縄県環境科学センターにお願いして『分析試験成績書』も作成した。その報告会を開催する。」との連絡があった。
さっそく沖縄の報告会に参加した。「沖縄でPFAS汚染問題が大きく浮上したのは、2016年1月。嘉手納基地周辺から取水する北谷浄水場の汚染が県の調査で見つかった。北谷浄水場は、中南部の7市町村45万人に水道水を供給している。その後、市民へのアンケート・署名活動を展開し、沖縄県の基地対策課、企業局、環境課、保健医療部などとの話合い、沖縄防衛局への申し入れなどを取り組んだ。2020年4月10日、普天間基地からPFΟS泡消火剤が大量に流出して、基地からの排水溝はすっかり泡で埋まり、風に煽られた泡は飛散、住宅地に降り注いだ・・・」等の驚くべき報告を聞いた。
さらに知人から「このPFASの汚染の事を詳しく知りたければ、ジョン・ミッチェルさんの岩波ブックレットの本を読むといいよ。」とのアドバイスを受けた。
本の表紙裏に「米公文書に『有毒で、どこにでもあり、永久になくならない』と水や熱に強く油をはじく性質から世界中で数え切れない製品に使用されているが、長く人体に残留し健康をむしばむ。2000年にアメリカで明るみに出た大規模な被害をきっかけに国際条約で一部が禁止された。しかし日本では沖縄の米軍基地が取水源を汚染し、多摩川、淀川など全国の河川・地下水からも検出され、母乳の汚染度は突出して高い。日本の水の安全は守られるか?」と書かれている。
「はじめに」の所に次のような衝撃的な説明がある。
「PFASは耐久性、耐油性、耐水性に優れた、おおよそ5000種類の合成化学物質群である。20世紀半ば以来、世界中で数え切れない製品に用いられて、わたしたちの生活は安全で便利になった。だがPFASの化学的安定性は危険性にもつながる。外部からの作用に強いこの合成化学物質は、自然界で分解するのに数千年を要するのだ。そのあまりにも長い環境残留性から、アメリカでは専門家たちがPFASに『永遠の化学物質』というニックネームを付けた」と言う。
さらに「今や永遠の化学物質は地球を汚染している。土壌や大気や海洋を汚染し、川や湖を汚染し、わたしたちの飲み水を汚染している。ヨーロッパではPFASを垂れ流している地点が10万カ所にも上がり、浄化にかかる費用は2兆6000億円とも試算されている。米国では、人口の三分の一に相当する人びとのための飲み水が汚染されている。人間は汚染された食品を食べ、汚染された大気やホコリを吸うことでもPFASに曝露しているが、主要な汚染経路は汚染された水を飲むことである。この化合物は残留性があるため時間とともに体内に蓄積する。若年時にPFASに曝露した人は、生涯この物質を体内に抱えたまま生きていくことになる。ごくわずかの量でもPFASは深刻な健康被害につながる恐れがある。
子どもは成人よりも曝露しやすく、PFASは子宮のなかで母から胎児に、また母乳を介して受け渡される」と、このPFAS汚染のこわさを指摘する。
「PFASが製造されてきたほぼ全期間において、主要な製造元は、その危険性に気づいていた。動物が被害を受け、人間の血液に蓄積することを、長年の研究が明らかにしていた。被害者の中には日本の工場労働者たちも含まれている。PFASが出生異常(先天性欠損)やがんの原因になっているかもしれないとわかったときも、製造企業は沈黙し、消費者、汚染地域、国の機関に対してその危険性を公表しなかった。PFASの危険性がついに明るみに出たが、世界の各国政府は、数十年に及んで危険性を隠してきた製造企業に対して製造し続けることを容認し、処罰することも出来なかった」と言う。
しかし現在では、「『永遠の化学物質』の危険性に対する認識が広まっている。米国では2018年に環境保護庁長官が、PFAS汚染は『国家的な危機』だと宣言した。これとは驚くほど対照的なことに、日本の世論における認識はゼロに近い。このブックレットが状況を変える一助になればと願っている」と指摘している。
「最も深刻なのは沖縄県の被害だ。米軍のPFAS泡消化剤は、45万の住民の飲料水を汚染している。だが米軍はこの問題を隠蔽し、日本政府は責任追及できないでいる。海外では、責任期間によってPFASの影響を軽減する取り組みが始まっているが、日本の反応は生ぬるいものだ。現時点で、『永遠の化学物質』のうちわずか2種類、PFOAとPFOSのみについて限定的な規制が行われているにすぎず、その二つの化学物質でさえ、徹底的な廃絶には至っていない」と日本政府の対応を厳しく批判している。(富田英司)
「何でも紹介」・・・ 辺野古新基地建設問題を子供と共に学ぶ
沖縄の子供たちは、生まれる前から米軍基地があり、辺野古の新基地建設を巡る対立にさらされている。辺野古での市民による抗議行動は、27年目となる。
辺野古の埋め立て工事で漁場を奪われた漁師には、多い人で3000万円もの補償金が支払われる一方、基地被害にさらされる地元の人たちには、何の補償金もない。こうしたことひとつとっても、地域に分断を持ち込まれ、次第に新基地建設の話題は避けられるようになったという。
保育者と父母を結ぶ月刊誌「ちいさいなかま」8月号(編集・全国保育団体連絡会)に、元辺野古中学校教員、喜屋武幸氏による「子供の学ぶ権利と大人の責任ーー辺野古新基地建設問題を子供と共に学ぶ」が紹介されている。
はじめ同僚の教師からは「政治的な問題は題材にしたくない」等、保護者からは「地域の問題として子供たちに関心を持って学んでほしい。でももうすみ分けはいや嫌なんです。もう誰も傷つきたくないんです。だから地域ではあまり問題にしていない。」等反対する声があった。これら反対の声を押し返して、この教師が子供たちと学ぶ必要性を感じたエピソードを紹介している。
地元の中学生が「毎日うるさくて、一体何をしているのか」とキャンプシュワブゲート前に見に行くと、抗議行動中のおばさんから「中学生なのに抗議行動に参加して偉いね」声をかけられ、「おれたちは賛成だよ」と答えると「じゃ、あんたたちは帰りなさい」。それに対して中学生は「おれたちはここが地元だよ。あんたたちはお金をもらってよそから来ているのだろう。あんたが帰れ」と応答したという。
この筆者は「政治問題は子供には早い」「教育は中立が大切」などのもっともらしい言説は間違いであり大人の責任放棄、「大人が学ぶ権利を保障しないということは、子供がネットやSNSなどの情報から学ぶことになり、その情報が正確で正しいとは限らず、子供の認識、価値の獲得を歪めてしまうこともある」として、基地問題を正面に据えて子供と学ぶことを実行した。
授業ではまず、関連の新聞記事を紹介した後、できる限り自由に意見を表明し合い、自分と違う意見にも向き合い、対話を繰り返した。
「国が建設すると決めたことだからどうしようもない」「基地が出来ることで 人が集まり、活性化につながる」といった「容認」する意見、「貴重な自然を守ることが大切」「戦争につながる。騒音など、生活環境が壊れる」など「反対」する意見など。
自由な討論の雰囲気の中、A君の精一杯の発言が空気を一変させた。
「だれが賛成するか-。いったーは(おまえたちは)いいさ、補償金もらっただろう。わったーは(おれたちは)なにもないんだぜ。どう考えてもおかしいだろう。同じ辺野古に住んでいるというのに。」その発言の後、さらに真剣な話し合いが続いたといいます。
沖縄に対して自民党政府は、ずっとアメとムチで対応してきた。安倍政権以降は、辺野古の工事など、強大な権力を使って強行し、アメとムチはさらになりふり構わぬまで加速している。前翁長雄志沖縄県知事誕生以降、政府による大幅な予算削減というムチが露骨に強化されてきている。政府の意に沿う市や区には、県を飛び越えて手厚い予算を投じている。これは政府による明らかな暴力である。そうした暴力の中で育つことを強いられるこどもたちにとって、喜屋武幸氏の勇気ある授業は、どれほど大きな力となったことだろうと思う。(澄)
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核物質の海洋投棄 IAEAがお墨付き ――人類への深刻な影響を東電や日本政府に決めさせてはならない
福島原発「処理水」海洋投棄計画は「国際的安全基準に合致」と原子力機関のIAEAが報告書を公表しました。これは予想通りですが認められません。
◆原発推進機関の偏向した報告書
国際原子力機関(IAEA)は、国際連合の専門機関の一つであり、1957年に設立されました。本部はオーストリア・ウィーンにあります。IAEAの目的は、原子力の平和的利用を促進することです。つまり原発の増設推進にあるのは良く知られた事実です。原発推進のセンターなのですから、フクシマ原発事故の悲惨な実害を過小評価している彼らの「報告書」はそもそも偏向したものですし、結論ありきの手抜き報告書です。
◆おざなりの「IAEA報告書」
多核種除去設備(ALPS)は、2013年に設置されて以来、国際原子力機関(IAEA)から実際の性能検証を一度も受けていないことを韓国紙(ハンギョレ新聞)が暴露しました(日本ではほとんど報道されません)。
衝撃的な報道です。「東電らとテレビ会議を行ったことを土台にこの報告書を作成」「ALPSの性能検証は、IAEAが日本の経済産業省の要請で構成した検討チームの任務範囲にも入っていなかった」と。構造や性能の定かでないろ過装置ALPSから出てくる水を信じられるでしょうか。「採取した浄化水を測定したからそれでよい」と言えるのでしょうか?すでに指摘されてきたように、巨大で無数のタンクの中の「浄化」汚染水は均一とは考えにくく、層をなしている恐れがあり、このALPSの装置全体の正確な理解無くては適切なサンプル採取もできないのが当たり前ではないでしょうか。あまりに悪質な不作為です。
◆「浄化」汚染水
燃料デブリなどを通過する汚染水は「浄化」しても、多数の核種が残存しています。さらにもっとも対処の困難なトリチウムがほとんどそのまま残存しています。トリチウムは核物質であり当然β粒子を放出します。
トリチウムは、水と非常に密接に結合しているため、物理的な分離方法では完全に取り除くことが困難です。その他の化学的手法もあります。しかし高価なため東電など原発関係者はこの程度の支出も努力も払っていません。もちろんトリチウムを「水」から完全に除去することは現代では不可能です。ですからでたらめな「基準値」を設定し垂れ流しを容認しているのです。海に捨てられるのはこのような「浄化」汚染水なのです。
◆原発あるところトリチウムあり、だから良いのか?
「中国や韓国の原発もトリチウムを出しているから同じだ、量は中・韓の原発の方が多い」とサンケイ=夕刊フジは、中・韓の海洋投棄に反対する世論に反駁しています。
彼らの主張は子供じみています。日本の原発も、世界の原発も蒸気や冷却水から大量に発生するトリチウムを除去できず、一部は大気へまたは大量の海水と混ぜて「安全だ」と偽りの基準で垂れ流しになっているからこそ問題なのです。だから、原発はすべて廃炉にすべきなのです。トリチウムは天然にはごくわずかしか存在せず、主に原子炉から大量に人工的に生成されます。自然界への長期的影響研究はなにもなされていません。人体への直接的影響はもとより、海洋動植物への影響を徹底的に調べるべきです。住民から被害の訴えのあった米国・カナダにあるオンタリオ湖(多数の原発があります)の問題などが知られています。
◆トリチウムの内部被ばくとOGT
トリチウム(三重水素)は空気中や水中で存在し、吸入や摂取、皮膚接触によって体内に取り込まれることがあります。高レベルのトリチウム曝露は、遺伝的影響やがんのリスクを引き起こす可能性があります。また、妊娠中の女性や成長中の子供への影響も懸念されます。
水とともに体内に取り込まれますので、内部被ばくと関連して要注意なのがOGT(有機結合型トリチウム)です。人体の構成物として水は幼児の場合75%もあります。OGTは人体の構成要素として水に代わってトリチウムが入り込み代位することです。つまり放射能物質が人体(生物)の構成要素に取り込まれるということです。もちろん内部被ばくとともにβ崩壊の後に異質のヘリュウムとなり身体細胞の棄損となります。その部位が染色体などのケースでは危険性が指摘されています。
世界の原発と同様に福島汚染水のトリチウムで海洋を汚染することは生態系の混乱と海洋生物に依存する人体への悪影響が考えられます。つまり食物連鎖と言うことです。何度も言いますが、トリチウム海洋投棄の「安全基準」と言ったものは原発推進派の作文にしかすぎません。「原発安全神話」から「放射能安全神話」に東電と政府は切り替えようとしています。だまされてはいけません。
◆「浄化」汚染水槽での魚の飼育・東電
「浄化水」で飼育したが、取り込まれた放射能は基準値を上回らないという・・・これはごまかしだと思います。「セシュウムもトリチウムは怖くない、元気に魚が泳いでいる」という東電の印象操作です。
福島第一原発の処理水に含まれるトリチウム濃度(いわゆる基準値以下)と同程度の海水でヒラメを飼育していた東京電力がこのほど、試験結果を明らかにしました。周囲の海水の濃度以上には体内に蓄積されず、通常の海水に戻すと体内の濃度が下がる、などとした。試験は処理水の海洋放出を前にした風評対策の一環で、東電は「これまでの知見と同じことが確認された」としました。
これでは中学生もだませないでしょう。東電の水槽は、現実の海を無視したものです。東電が加害者であることを考えれば悪質なやり方です。
海洋放射能は、食物連鎖で濃縮されます。
たとえば、プランクトンなどの小さな生物は、海水中の放射性物質を直接摂取します。プランクトンを食べる魚は、プランクトンに含まれる放射性物質を摂取します。魚を食べる鳥やクジラは、魚に含まれる放射性物質を摂取します。このように、食物連鎖の上位にいる生物ほど、放射性物質の濃度が高くなります。これはもはや常識です。トリチウムばかりではなく放射性物質は海水の放射能濃度はこのようにして生物の食物連鎖によって濃厚になります。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
共同通信などによると、基準値を超える放射性セシウムが確認されたのは、5月に捕獲されたクロソイ。食品衛生法の基準値(1キログラムあたり100ベクレル)の180倍にも及ぶ18000ベクレルの放射性セシウムが検出されました。このように福島近海の魚の最高値が次々と昂進されるのは「濃縮」が進んでいることを示しているでしょう。東電の論理のように「基準値以下の海水飼育では、魚は海水の基準値を超えない」というのは、だからでたらめです。食物連鎖があるので、海水の放射能濃度をはるかに超える魚が存在するのです。
「そのような魚の数は極めて少ない」、と言うのですか?むしろそれは当然です。高汚染された魚は死滅した可能性があると考えるのが科学的ではないのですか。高汚染されるにつれて、魚自体が死んでゆくから捕獲されなくなります。「少ない」のはそのためです。
つまり、海水の汚染濃度をいかに薄めても、核物質の「量」がある限り自然界の「凝縮」が進行するのであり、ここに危険性があります。
だから東電らの主張する「安全基準値」などは存在しないのであり、「東電の水槽実験」など酷いでたらめだと思います。
◆自然界にこれ以上拡散させずに地上保管を
経済産業省によれば、海洋投棄が必要なのは、福島第一原発の廃炉の本格的準備のためだとしています。敷地が足りないと。しかし、周辺は今や無人地帯なのでこれもおかしな話です。
一旦海洋投棄が開始されれば、毎日百数十トン(年間5~6万トン)の汚染水がかりそめの「浄化」のあと、垂れ流しとなり、海洋投棄が日常化します。核物質の拡散は海洋動植物を経て人類に否定的な影響を与えます。
東電と経済産業省の計画では、放射能処理水の海洋投棄は、2023年から2041年までの20年間に行われ、最終的には約1370tの水が放出される予定です。もちろん、現存の貯蔵タンク量を全部投棄しても終了ではありません。燃料棒やデブリの取り出しはまだ何も始まっていません。それを考えれば汚染水は今後も発生し続け「2~30年で完了」どころか今後海洋投棄が数百年にわたる可能性も十分にあります。ここにも東電のウソがあります。今夏、海洋投棄が始まったとすれば、長期にわたる深刻な海洋汚染の「開始」を意味します。
◆風評被害ではなく実害を恐れます
そもそも、政府や東電は2015年に福島県漁業協同組合連合会に「関係者の理解なしには、いかなる処分もしない」と文書で回答。現時点でも漁業関係者は大反対なのです。にもかかわらず、政府、東電は、半ば強引に海洋放出の計画を進めてきました。原発推進の時代と何も変わっていませんね。
「海水浴シーズンの投棄はダメ」という公明・山口代表の中途半端な発言に対してさえ、保守派の非難が集中しました。「まるで海洋投棄が人体に悪影響があるかの誤解を与える」「風評被害を煽るな」と。酷い話です。風評被害ではなく、実害こそ問題です、しかも一世代ではなく子々孫々の話です。また人間だけではありません、海に生きる動植物全体の問題です。環太平洋の諸国や中国や韓国国民の大半も反対しています。私は魚業関係者でないので風評被害を受ける立場ではありません。恐れているのは実害です。漁業関係者の立場は厳しいものがあると推察しますが、「安全な食の提供」という使命感で一歩も譲らないことを期待します。(阿部文明)
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色鉛筆・・・十分な医療を受けられる社会を目指して
一歳の孫がRSウィルス感染症にかかり重度化して入院しました。入院して十日たちますが、いまだ酸素吸入が外れません。
私の子供も呼吸器系が弱く一歳になる前から肺炎で入退院を繰り返していました。母親の私は病院に付き添いでした。母親の食事は出なく自分で準備しなければいけなく、カップラーメンばかり毎日食べていました。洗濯機は自由に使えました。お風呂は子どもが寝た後に近くの銭湯に行っていました。毎日大変でしたが、点滴をつけたまま遊ぶ場所があり、同年代の子どもたちと楽しく過ごすことができました。面会も自由でした。小学校三年生まで十三回入院しましたが、今は元気に過ごしています。カップラーメンばかり私の姿を見て、その後母親にも食事提供とシャワー浴ができるようにしたと、退院してからも交流があった看護士さんから教えられました。
四年前からコロナ禍の中、色々な生活も制限され感染症対策に対しては、病院の中は、不織布のマスク着用が義務付けられ、患者とは面会もできません。母親の食事提供は厳しく、洗濯も思うようにできません。孫は酸素吸入の状態だからまだ入院できていますが、咳がひどくても解熱したら次々と退院させられています。実は孫も一度強引に退院させられたのですが、その日の夜に急変して再入院しました。時間外に孫の荷物を届けにいくと、救急外来の小児科はすごい人数の子どもがいつも並んでいます。今までなら、まだ退院させない子どもを次々に退院させないと、回らない感じです。
コロナ禍前に政府は保健所や病院の統廃合をしてきました。そのつけが、抵抗力が十分についていない小さな子供たちが、医療のひっ迫の犠牲になっているように感じます。
また、マイナンバーカードに保険証を紐付け、全く知らない人の情報が紐づけられるという間違いが多発しています。私は、妊娠した時に一度病院で同性同名の全く知らない人のカルテを渡されたことがありました。でも自分で確認できたから、すぐに受付で話し訂正できましたが、今だとコンピューター上での操作だから、間違いに気がつくのは遅いのではと思います。間違って手術を受けたり、色々と考えるととても怖いなと感じます。
もっと病院や保健所を増やし、十分な医療を受けられるようにしてほしいです。軍事費ではなく病院建設と医療スタッフの配置にお金を遣ってほしいです。
マイナンバーカードも廃止すべきです。0歳から亡くなるまで管理され、その中でもしかしたら自分の成績でない他人の成績や他人の預金通帳が紐付けされたり、他人の年金が振り込まれたりする間違いが発生するのではと、今の現状を見ていて感じます。
毎日が安心して過ごせる社会になってほしいと切に願い、できることをしていきたいと想います。 (宮城 弥生)
コラムの窓・・・難破・座礁するマイナ保険証!
河野デジタル相は「自主返納は微々たる数だ」と強弁し、自らが崖っぷちに立たされていることから目をそらしています。現状では、紙の保険証の廃止などできないことは明らかです。それどころか、マイナ行政自体が破綻しかねないのですから。
6月2日可決・成立した「マイナンバー法等の一部改正法案」は約20の法改正の悪名高い「束ね法案」で、デジタル庁はその趣旨を次のように述べています。
「今般の新型コロナウイルス感染症対策の経験により、社会における抜本的なデジタル化の必要性が顕在化。デジタル社会の基盤であるマイナンバー、マイナンバーカードについて国民の利便性向上等の観点から、行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(マイナンバー法)等の一部改正を行う」
健康保険証廃止を〝前提〟した内容を含むこの束ね法案、マイナンバーカードを実際に持っているのはまだ60%台だということだから、このままでは医療機関は大混乱。何らかのトラブルで本人確認ができないなかで、窓口で全額支払いを求められる事態が多数発生しています。保険証の喪失等で皆保険制度も事実上崩壊し、医療の危機さえ想定されます。
混乱はマイナ保険証だけではなく、あれもこれもあらゆるひも付け、本人確認の過程で間違いが蔓延しています。その過程で個人情報漏洩の危険性があるのですが、誤入力とか操作間違いではすまされない構造的欠陥ではないでしょうか。他人の医療情報で治療を受けるようなことになってしまったら、命にもかかわります。
マイナカードを巡っては、本紙4月号で普及策のいかがわしさについて指摘しました。そして、対抗策として「番号は書かない、カードは持たない」でおこうと呼びかけていますが、すでにマイナカードを持ってしまっていたらどうするのか。とりあえず引き出しの奥にでも仕舞っておくほかないのか、確かな対処は不明確でした。
日替わりで報道されるマイナ不祥事、厚労省が「従来の保険証も持参を」と言うに及んで、その無責任にあきれ果てます。ついに、マイナカード返納続々、3月3日時点で約42万枚と「東京新聞」(6月30日)が報じました。「神戸新聞」(7月3日)は続報として、5月以降急増、神戸市では5月中に30件とか。
それでは、返納手続きはどうすればいいのか、地元自治体に返納手続きについて周知するよう求めてみました。その回答は次の通りでした。
「ご指摘のとおり、本市のホームページ上の『よくある質問』には、マイナンバーカードの返納手続きについて記載しておりませんでしたので、ご指摘を踏まえ、現在掲載の手続きを進めております。また、マイナンバーカードを返納される場合は、ご本人様が市役所の窓口にマイナンバーカードをご持参いただき、個人番号カード返納届出書をご記入のうえ、マイナンバーカードを返納いただくこととなります。なお返納は、市役所本庁舎1階市民課のほか、各支所、・・・で受け付けております」
カード普及率についても、デタラメな数字が示されていたことが報じられています。交付数のみを追っていると、単純に死亡による減少は反映しません。すでに500万枚の過大計上が明らかになっていますが、交付率が100%を超えた自治体があるというのだから笑い話にもなりません。
こうして、自然発生的な返納運動が起きたということは、マイナカード強制に対する反発が、意識的な附番制度(デジタルパスポート)の拒否へと向かいつつあるのかもしれません。個人情報の集積による市民監視、その活用を企業利益の手段とする、はてな優秀な兵士の選択に・・・等々。名前がある私たちは、国家によって附番されたカードの携帯おことわり。その前に、まず返納へ。 (晴)
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